エッグベア。ベア、というと私は熊を思い浮かべる。
私でいた世界でベア、という言葉は熊を指していたからだ。
そして何故かこの世界でもベア=熊、らしい。現にエッグベアは熊のような何か、と表現するとしっくりくる見た目の魔物で。
いや、まあ何か前足は異様に発達しているし、基本二足歩行だし、果ては爪が異様に長いし、で本当に熊か?と聞かれると若干首を傾げたくなる気もしなくもないが、カラーリングは熊だ。だからきっとこれの先祖は熊に違いない。きっとそう。
「そういえば、何で皆魔導器持ってるの?」
ぼんやり考えながら、クオイの森の奥へと進む。相変わらず鬱蒼とした森だ。
そんな中、ふと気になったのかカロルが振り向いて私達に訊ねてきた。
思わずそれに皆顔を見合わせる。
「武醒魔導器なんて貴重品、ギルドにでも入ってない限り滅多に手に入るものじゃないと思うんだけど」
「?ギルドじゃ手に入んのか?」
「魔導器発掘を専門とするギルドがあるのよ。遺構の門っていうんだけど、そこからなら結構容易に」
「へぇ…そんなギルドまであるのか…」
カロルの言葉に付け加えるように説明をすれば、感心したようにこちらを皆が見てきた。
「今は帝国が牛耳ってるからね。そうでもしなきゃ僕たちギルドは魔導器なんてそうそう持てやしないよ」
牛耳る、という言葉にエステルが表情を曇らせる。
元々魔導器は危険な代物だ。便利なものなのは確かだが、誰にでも扱えてしまう欠点がある。
武醒魔導器なんかはそれが顕著だ。一度手にすれば危険な魔術も簡単に扱えてしまう。
帝国が管理しようとする事は私も賛成だが、如何せん今の帝国は度が過ぎてる。事実牛耳る、という言葉にエステルが否定をしない。
「で、実際のとこどうなの?何で持ってんの?」
表情を曇らせたエステルをちらりと一瞥し、声をかけることもなくユーリは森の奥へと足を進める。
それを止めるかのようにわくわくした表情でカロルがユーリに訊ねた。
それに少々肩をユーリが竦める。
「俺、昔騎士団にいてな、やめた餞別にもらったの。ラピードのは前の主人の形見だ」
「餞別ってそれまさか盗品……、…えっと、エステルは?」
「あ、わたしは…」
「貴族のお嬢様だ。魔導器の1つや2つ持っててもおかしくないだろ」
エステルの言葉を遮るようにユーリが言葉を発する。
傍から見れば不自然な形に少々違和感。
薄々でもただの貴族じゃない事に気付いたのだろうか?
無駄に勘はよさそうだしなぁこの人…、と完璧蚊帳の外の気持ちで皆のやりとりを見ていたら、ユーリの言葉に納得したらしいカロルは次は、と言った具合にこちらを振り向いてきた。
「え、私?」
「そういえばの魔導器ってどれ?」
「ん、ああこれ」
そう言って右手を翳す。人差し指にキラリと光る指輪。これが私の魔導器だ。
いや、厳密に言うと使った試しなどないけれど。
エアルを毒とする私の身体。つまり私はエアルを取り扱う術を持ち合わせていない。
まさかと思って試してみたが、やはりというか案の定というか…使ってみようとしてうんともすんとも言わない魔導器に匙を投げたのはおよそ数年前の事だ。
その頃はまさかエアルが毒だと気づいていなかったせいもあり、結構がっかりしたものだ。少し期待していただけに。
だってかっこいいじゃん召喚術だけじゃなくて何かよく分かんないけどとにかくすごい魔法っぽい何かまで使えるようになれたら、と妄想したりもしたんだ。
ちなみに使えない事は奥様にも坊ちゃまにも言ってはいない。あの方達は私が数年前に与えてくれたこの指輪のような魔導器を大事に使っていると思っている。
「はどうやって手に入れたの?」
「貰い物だよ貰い物」
「…まさかユーリと同じで盗品…?」
「いやいやいやいくらなんでもそれはない」
カロル以上に興味ありげにしげしげと眺めるエステルに手を預けつつ、カロルを半眼で睨む。
盗品とか。こんなディティールに凝った装飾品が似合わないとでも言いたいのだろうか。…うん、似合わないのは自覚してるよ。どっちかってーとこれエステルの方が似合ってるよ泣いてないよ。
「はとある貴族のお坊ちゃまの家庭教師なんだよ」
「何その胡散臭い説明…」
ユーリの思いがけないフォローにちょっと驚く。
エステルの身分同様、グランヴィルがどういった話の中身であれどうこう言いふらすのは若干避けたいなーとか思ってただけに、だ。
何だどうした頭でも打ったか、と感動。
「カロル、よく考えてみろ。あんな気品の欠片もないやつが貴族に仕えてますって言って、その貴族の評判下げないとでも思うのか?」
「ああ…そういう…」
「いやいやいやいやいやいや!!!!!」
感動した私を返してほしい。思わずユーリに詰め寄ってしまった。
「カロルも納得しない!ユーリ、あんたねぇ!」
「何だよ。ペラペラ自己紹介したくなさそうだったからフォローしてやったんだぜ」
「そーいうのはフォローと言いません!」
「まあそうだよな」
「…!!」
ぎゃーぎゃーと(主に私が一方的に)騒ぐ様を茫然と見てカロルが一言。
「…ユーリとって仲いいね」
「ですね」
「いやそこお互いに同意しないで!頼むから!」
*
「お、あった。ニアの実だ」
さらに森の奥へと進む私達。前にこの森に来た時ニアの実を持ってきたのはユーリだ。
どこで取ってきたのかと不思議だったが、何てことはない、森に落ちていたのを拾ってきただけのようだ。
何故落ちているかはカロルが説明してくれた。ニアの実はあの通りとんでもなく苦い。だから魔物の縄張りの証として使われているらしい。
「後はエッグベアの爪だけか…」
「あ、ユーリ一個もらえる?」
「ん?ああ」
ある程度集めたユーリに、カロルが声をかける。
その声に答えるように、彼はカロルに向かってニアの実を放り投げた。
「?何に使うんです?」
「まあ見ててよ」
ユーリから1つを受け取ったカロルが、徐にそれに火をつけた。
は?と皆の目が点になる中、カロルが得意げに事の説明をしだす。
「エッグベアは独特な嗅覚の持ち主なんだ。だからこうして…」
「火をつけると何か起こ…、…………!!!!!」
もうもうと立ち込めた煙に、思わず後ずさってしまった。
煙が物凄く臭かったからだ。あの口に広がった苦みをさらに強烈にしたような、思い出して思わず渋面を作ってしまうような、もう言葉に出来ないレベルのひどさ。
強烈な匂いに渋面を作ったのはもちろん私だけではなく、ユーリはもちろん、あのエステルでさえカロルから距離を置こうと後ずさっている。
ラピードなんか今にも倒れそうだ。
「くさっ、お前くっさ!!」
「ちょ、僕が臭いみたいに!」
ユーリの率直な感想にカロルがショックを受けたように私達に近づく。…勿論私達は彼から後ずさる。
「ああラピード!しっかり!」
やはり最初の犠牲者はラピードだった。鋭い嗅覚にこれは辛かろう。
倒れたラピードに慌ててエステルが駆け寄る。
「もうどうすんだよこの状況」
「今来られたら確実に戦力ダウンよねぇ…ラピード的な意味で」
剣を構え警戒するカロルにばれないようにこっそりため息を吐いた。
「ラピード、立てる?」
「わう…」
ああ声に元気がない…。よろよろと何とか立ち上がるラピードにほろりと涙。
「もういつ飛び出してきてもおかしくないよ。エッグベアは凶暴な事でも有名なんだ。皆、注意して」
注意して、と言われてもこの匂いの中で集中できる方がおかしい。
小動物やら小型の魔物やらが私達から逃げるように去って行くのを遠い目で眺める。
「ユーリ、私も匂いにやられたら後よろしく」
「お前なぁ…」
冗談でも言ってないと匂いに集中しちゃいそうで。
もういっそ口で息をすべきかもしれない。
ああもう早くエッグベア来ないかな、なんて思っていたその時。
「グルルルルル…」
「!」
ラピードが低く唸りだす。
それに気づいたユーリがエステルを後方へと庇うように押しやり、臨戦態勢に入った。
「早速お出ましか、なるほどカロル先生の鼻曲がり大作戦は成功ってわけだ」
「へ?…う、うわあああああああ!!!」
草むらから完全に姿を現したエッグベアの存在に気づき、カロルが悲鳴を上げる。
「こ、これがエッグベア…」
先頭を歩いていたカロルがユーリの背に隠れるように後方へと下がる。
それに苦笑するように笑ったあと、ユーリは己の剣をエッグベアへと向けた。
「、行けるか?」
「何とか…」
「倒れたら俺が手厚く介抱してやるから安心しとけ」
「よーし張り切って行こう!」
「…」
ばっちこーい!と私もナイフを構える。
そんな私にユーリはため息を吐きつつ、エステルやラピード、それにカロルも準備を終え臨戦態勢に入っていることを確認。
「うし、じゃあ行くぞ!」
*
「蒼破刃!」
蒼い波動がエッグベアを襲う。
それを喰らって巨体がよろめくが、致命傷を与えるほどにはならない。
「ちっ、やっぱりここらの魔物より段違いで強いか…!」
「ギャンッ!」
「ラピード!?」
巨体から繰り出される拳をもろに食らったラピードが吹っ飛ぶ。
それを見てエステルが回復の詠唱を開始。
「ユーリ!カロル!隙を作るから作ったら一気に畳み掛けて!」
「どうやってさ!?」
カロルの悲鳴に近い声を聞き流し、ラピードと入れ替わるように私がエッグベアへと特攻をかける。
デイドン砦で売ってなかったのもあるが、如何せん誘拐に近い形でここまで来てしまった私は、生憎小型のナイフしか持ち合わせていない。
こんな巨体の熊相手にまともに切りかかったところでせいぜい毛が切れるくらいだ…それも体の皮膚が固めと来た。
それならば。体にまともにダメージを与えられないのならば。
エッグベアから繰り出される拳をかいくぐり、跳躍。腕と頬が裂けた気もするがこの際気にしない。
「いくら何でも、目は弱いでしょっ!!!」
「!!ギャオオオアアアアッッ!!!」
自分のナイフをエッグベアの右目に突き立てる。けたたましい咆哮が、耳を劈いた。
与えられた激痛と、目に刺さった異物を取ろうと暴れるエッグベア。
「ユーリ!カロル!!」
「ああ!双牙掌!!」
「が、臥龍アッパー!」
完全に隙が出来た魔物へとユーリ達が技を決める。
もろに食らってよろめいたその巨体に私が再び駆け寄る。
「!!」
「分かってる!…ごめんね。“朱雀”!!!」
業火。そう表現するに相応しい炎が、エッグベアを襲った。
「…!!!」
悲鳴を上げる余裕もなく、エッグベアはついに地面へと倒れ込む。
ずしん…と地響きを立てたあとピクリともしないエッグベアに、エステルとカロルが力なくその場にへたり込んだ。
「や、やっと終わった…」
「2人とも大丈夫?」
「な、何とか…」
そういえばそれなりにでかい魔物と対峙したのはもしかしてエステル初めてじゃなかろうか。
安堵のため息を吐く2人を見てそんな事を思い出し、こりゃ2人が見てない内に爪を取った方よさそうだ、とユーリにこっそり目くばせをする。
一瞬奴がうげ、と表情を歪めた気がしたが気にしない事にした。スルーした私を見てユーリがエステル達とは違う色のため息を吐く。
ペキッと言う音を立てて爪を剥がすのを見届ける。
「カロル、これでいいか?」
「え、あ、うん。それで大丈夫だよ」
「じゃあとっととハルルに戻っちゃおう。フレンが戻ってきちゃ……」
「ユーリ・ローウェルー!!この森に入った事は分かっている!!素直にお縄につけぃ!」
帰ろうか、と促す私の声を遮るようにどこかで聞いた声が森中に響いた。
「あれ…この声…」
「冗談だろ…ルブランの奴、帝都の外まで追ってきやがった」
間違いない。シュヴァーン隊のルブラン小隊長だ。
ユーリがガクリと肩を落とすのを見てカロルが不思議そうに首を傾げた。
「何?ユーリ、誰かに追われてんの?」
「ん?まあ、騎士団にちょっとな」
「またまた…元騎士が騎士団になんで…………え、えっ?えっ!?」
冗談と思ったのも束の間、エステルが気まずそうに、私も目線を逸らした様子を見てその幼い顔を青ざめさせる。
「まあ私の事誘拐したしね…」
「そういやそれもそうだったな」
「ユーリまさか忘れてたとか言わないでしょうね」
あ、視線を逸らしやがった忘れてたなこいつ。
「す、素直に出てくるのであ〜る」
「い、今ならボコるのは勘弁してあげるのだ〜」
じーっと睨んでいれば、何とも情けない声が聞こえてきた。
恐らく小隊長の部下だろう。情けない声にルブランさんの叱咤の声が聞こえる。
「ね、ねえ何したの?が今誘拐って言ったけど…貴族の使用人誘拐だけで帝都の外まで追ってくるはずないよ。ほかに何やらかしたのさ」
器物破損?殺人?詐欺?と罪状を列挙していくカロルにユーリが肩を竦める。
「いや他には脱獄だけだと思うんだが…」
「まあとりあえず今は逃げちゃいましょ。…ユーリをあいつらに捧げてもいいけど」
「根に持つなよ」
「持つよ。米俵の屈辱はしばらく忘れないよ」
半眼で睨んでやれば苦笑が返ってきた。くっそ飄々としやがって。
とりあえず逃げるか、ともう一度ハルルへと向かおうとする。
するが、ユーリが何かを思いついたのか徐に木の枝やら木の葉を集めだし、草むらを作り出した。
「?何やってるんです?」
「いや、ここをこうしとけばあいつら追ってこれないんじゃないかと思ってな」
その草むらで道を隔ててやれば行き止まりの完成だ。
「だ、駄目ですよ!他の人に迷惑がかかります!」
「大丈夫だよエステル。呪いの森だし、人は滅多に通らないから」
それに突貫で作った草むらもどきだ。蹴りでも入れてしまえばおそらく壊れる。
それも説明してやれば、渋々納得した風にエステルが頷いた。
「じゃあ、ハルルに戻るぞ」
「りょーかい」
「あ、ま、待ってよ!」
後は、ルルリエの花びらを村長から入手して、パナシーアボトルを作るだけだ。
*
「カロル、準備はいいか?」
「う、うん…!」
ハルルの結界魔導器の前に、カロルがパナシーアボトルを持って立つ。
ハルルに戻った私達は、まず村長に事情を話してみた。
そしてルルリエの花びらについてもだ。最後の一枚だったようだが、頼み込んで何とか材料を揃える。
ニアの実、エッグベアの爪、ルルリエの花びら。3つの材料をよろず屋に渡せばいとも簡単にパナシーアボトルが出来上がった。
確か魔導器を使って合成してるんだっけか、と記憶を掘り起こす。いやはやなんでも出来るなぁ、魔導器。
パナシーアボトルが出来てしまえばこっちのものだ。皆で結界魔導器の前へと行く。
カロルがこの案を提案したのだから、カロルがこれを使うべきだ、とユーリがパナシーアボトルをカロルに手渡す。
「じゃ、じゃあ行くよ…」
カロルがキュポンという音を立てて蓋を開けた。それを地面に一滴残らずかける。
村民や私達が見守る中、ぽう…と淡い光がハルルの大樹を照らしだした。
おお…と感嘆の声が漏れる中、その光を見守っていればある程度の光を発した後、その光は無情にも勢いを失い、仕舞いには消え去ってしまった。
「そんな…」
村民から落胆の声が零れる。
「うそ…量が足りなかったの?それとも方法じゃ…」
茫然と大樹を見上げるカロル。
その様子に耐えれなくなったエステルが、新たなパナシーアボトルを作る事を提案する。
だが、ルルリエの花びらは先ほどの一枚のみ。確かルルリエの花びらじゃなくても代わりがきく素材があったはずだが如何せん覚えていない。
それにおそらくこの大陸では手に入らない。
「そんな…そんなのって…」
「エステル…」
泣きそうに表情を歪めたエステルが大樹を仰ぐ。
そして彼女が祈るように手を組んだ。
私の背筋にぞわっと悪寒が走る。
「…!?」
「お願い……咲いて」
そう呟いた瞬間、彼女の身体から光が溢れた。
ありえない。だがこの苦しさは間違いない。
「まさかこれエアル…っ!」
光の粒はハルルの街全体に降り注ぐように溢れ、ハルルの大樹をも包み込む。
茫然とエステルを見つめるユーリの隣で、左胸を押さえ思わず膝をついた。
「おい!?」
「う…ぁ…っ」
ユーリが肩を掴んできたが、生憎それどころではない。
浅く息を吐くことしか出来ない。クオイの森での魔導器もそうだったが、それと同等のレベルのものだ。
何でエステルがこんなことできるんだ、という疑問が頭を占めるが、それを深く考える事が出来ない。
「しっかりしろ!」
「はっ…はっ…ユー…リ…」
「一体どうし……」
「おおおお…!!」
俯いていた顔を上げれば、心配そうにこちらを見ているユーリと目があった。
彼が顔を上げた私に事情を聞こうと口を開けば、村民の感嘆の声にその言葉が遮られる。
エステルは治癒術を得意とする。
信じられない事だが、彼女が祈った事でエアルが操作されたのだとしたらそれはおそらく治癒術だ。
そしてこの濃いエアル。エアルは濃ければ濃いほど周りに影響を及ぼす。
それはもちろん、魔導器にも…結界魔導器にもだ。
「ハルルの樹が…」
茫然と村民が呟いた言葉が、皆の気持ちを代弁していた。
大樹が持つつぼみその全てが、咲き誇っていた。
結界が正常に稼働していることを表すリングが、街を包んでいる。
心なしか辺りの木々も活力に満ち溢れているようだ。
「こんなことが…」
「、大丈夫か」
「あ…うん、もう、平気…」
「本当か?」
「うん…まだちょっとフラフラするけど…。!エステル!」
力なく崩れ落ちたエステルを見て、思わず彼女のもとに駆け寄る。
ハァ、ハァと肩で息をするエステルが、ぼんやりとした表情でこちらを見てきた。
「…私…?」
「すごいやエステル!」
「あれ…ハルルの樹が…」
「え…まさか、覚えてないの?」
満開のハルルの大樹を見て、感動したように目をキラキラさせるエステル。
彼女が自分で咲かせたのだが、どうやら覚えていないようだ。
夢中だったのだろうか?それを裏付けるような、エステルのただただ強く咲いてほしいとお願いした、という言葉。
思わずユーリと顔を見合わせる。
「ああ…ああ、ありがとうございます…!これでハルルの街もまだやっていけます…!」
立てるか?というユーリの問いに、彼の手を借り立ち上がったエステル。
そんな彼女に感謝してもしきれないといった風に村長が握手を求め頭を深々と下げた。
「そんな、私は…」
村民が次々と感謝の言葉を述べるのを眺めつつ、カロル達とやったね、と手を合わせる。
何にせよハルルの結界魔導器が元に戻ったのだ。
「ユーリと、嬉しそうだね」
「ん?そりゃあね」
「フレンが戻ってきたときの事を考えたらな。…ざまあみろ」
にやりと笑うユーリに苦笑する。
確かにちょっと見てみたい。愕然とするんだろうなぁあの人。わざわざアスピオにまで行ったのに。
「…」
「ん?どうしたラピード」
お礼を言う村民の輪の中から抜け出してきたエステルと入れ替わるようにラピードが彼女が来た方向を睨みだした。
それに気づき私達も視線を移せば、何やら怪しげなフードをかぶった集団。それと見た事あるピンク髪。
「…げっ」
「何だ、知り合いか?」
「え、そういうユーリ達も知ってるの?」
「はい…お城で少し」
成程。じゃあ暗殺者集団ってのは海凶の爪か。あのコートにあのピンク髪は見覚えがありすぎる。
「見覚えがあるみたいだな」
「うん。でも今ここで説明するよりとっとと逃げた方がよさそう。ここに留まると村民に被害が出る」
「賛成だ。エステルもそれでいいな?」
「はい。でもフレンはどうしましょう…」
「あー…うーん。確かアスピオに向かったんだよね?今から行けば会えるんじゃないかな」
「アスピオ?」
「東に行ったんでしょ?ここから東っていうと学術都市アスピオくらいしか大きな街はないのよ。それにあそこは魔導師もたくさん住んでるし」
「なるほどな…」
「ね、ねえ前から疑問だったんだけど“フレン”って誰?」
そういえば説明していなかったっけ?と思わず私達は顔を見合わせた。
「エステルが片思いしてる帝国の騎士様だ」
「なっ…な、何でそうなるんですか!違います!」
茶化すようにユーリがカロルに説明すれば、顔を真っ赤にしてエステルが怒りだした。
怒りだした彼女に苦笑するように彼は肩を竦める。
「ってのは冗談だがな」
「そうです!カロル、フレンはの恋人なんですよ」
「えっそうなの!?」
「いきなりの飛び火!違うからねカロル。恋人でもなんでもないから」
「は照れ屋さんなんです」
「おかしい逃げ道がどこにもない!!」
エステルの言動に泣きそうな私を見て事を察してくれたらしい。
乾いた笑いを浮かべるカロルを見て、ユーリが嘆息。
「とりあえず今はここを出るぞ。あいつらに見つかる前にな」
「ユーリが火種をばらまいたんじゃない…」
「気にすんなって」
恨めしそうに睨めば、ぽんぽんと頭を叩かれた。
くっそ年下扱いしやがって、1つしか違わないはずなのに。
「お待ちくだされ」
ハルルの街から外に出ようとする私たちを止める声。その声に振り向けば、村長がそこに立っていた。
何でも、エステルにお礼がしたいらしい。まあ街を救ってくれた恩人だ、村民や村長が言い出すのも無理はない。
だが、謙虚なエステルの事。当然そんなことはいいと首を横に振る。もちろんそれで引き下がる村長でもない。
押し問答を続けるエステルと村長。そんな二人に痺れを切らしたユーリが打開策を出した。
「じゃあ今度遊びに来た時に花見をさせてくれ、特等席で」
「あ!それ、いいですね」
その打開策に、エステルが嬉しそうに手を叩く。
恩人が喜ぶ以上仕方ない。手にしていた金を引込め、村長がその時は腕によりをかけさせていただきます、と深々と頭を下げた。
「決まり、だね」
「だな。、その時はあれだ、ダンゴってやつを作ってくれよ」
「ん?あれ、ユーリ食べたいの?」
「私も食べてみたいです」
作れるかなー、とポリポリ頭を掻いた。料理にはあまり自信がないんだ。
「じゃあ今度こそアスピオに向かうか」
「そうですね」
村長に別れを告げ、街を出る。
「そういやカロルはこれからどうするの?」
東ってどっちだっけ、とユーリが広げた地図を覗き込んだカロルに、ふと疑問をぶつけてみた。
この子は確か魔狩りの剣だ。合流とかしなくていいんだろうか。
「あ、港に出てトルビキア大陸に渡りたいんだけど…」
「トルビキアか…アスピオとは反対の方向だね」
「じゃあここでサヨナラか。楽しかったぜ、ありがとなカロル」
「お気をつけて」
「え!?あ、いやーやっぱりもうちょっと付いていこうかなぁ。ほら、僕がいると心強いでしょ?」
「…まあ意外に頼りになるしな、カロル先生は」
「じゃあこのままのメンツで行こうか?」
「そうですね、皆で行きましょう」
嬉しそうに笑うエステルが、不意に空を見上げた。
満点の星空。そういえば帝都を出て旅籠馬車で休んでから、碌に休息と言える休息も取ってない気がする。
それでもこのお姫様は楽しそうだ。相当疲れてるはずなのに。
「エステル、楽しそうだね」
「…不謹慎かもしれませんが、楽しいんです。私今までこんなに自由な事がありませんでしたから」
ユーリやカロル達には聞こえないような距離で、小声で話す。
評議会にとっての籠の鳥。それがエステルだ。いや、エステルだった。
過去形だ。今はこうして外に出ているのだから。
「じゃあ、今を楽しみな?この先どんなことが待っててもそれは絶対あなたの経験値になるんだから」
「経験値…」
「うん。折れない心を育てるための、ね?」
「…はい。何だかって、私よりも全然大人っぽいです」
「まあ2つも上だしね」
「2つじゃ足りないです」
「…それ私が暗におばさんだって言ってる?」
「そ、そういう意味じゃ…」
慌てだしたエステルに、思わず吹き出してしまった。
そんな私を見て、途端に彼女はその頬を膨らませる。
「!」
「ごめんごめん、ちょっと面白くって…」
「お前ら何やってんだ、置いてくぞ」
後ろでもたもた歩く私たちに気付いたユーリが、前方で声を張り上げてきた。
その声にはーい、今行くーと私達が駆け寄る。
(経験値。…うん、経験値だ。これもきっと)
先を走るエステルの背中を見つめながら左胸を押さえる。
思い出すのは先程の事。大丈夫、そう言い聞かせながら、私は振り向いてこちらを見た彼女に笑いかけた。
何事もなかったかのように。
08.抱いたのは一抹の不安
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20111219