「ここがデイドン砦…」
「そ。帝都を守る唯一の、ね」

見上げるとそこにはいかにも頑強そうな砦。
イリキア大陸にある都市と帝都を隔てているこの砦は、その帝都からほぼ真北に位置し、
ここに配属されている騎士は行き交う人々の検閲を主な仕事としている。

「…ま、そーいうわけで検閲中だよねぇ当然だけど」
「そんな…」

今日ももちろん例外ではなく、検閲待ちの商人達が門の前で行列を作っていた。
その光景にエステルとユーリが表情を曇らせる。
ここで時間をかけるのは得策ではない。エステルの顔は騎士団には大体割れているだろうし、
順番待ちをしていて帝都から追いかけてきた騎士団に捕まりました、なんてオチはもっと笑えない。

「どうする?2人とも、あんま目立たないように……あれ?エステルは?」
「あっち」

考え事をしていた隙にピンクのお姫様は露天商の方へ浮気をしに行っていた。
追われてる身かつ自分の身分を自覚しろよ!…なんてツッコミを入れたくなったがそこは堪え、
軽くため息を吐いて彼女の下へユーリと共に向かう。

「おーいエーステルー」
「はい」
「店を物色してる暇はないよー」
「はい」
「…駄目だ、ユーリ、パス」
「俺に振るなよ」

そういえば本の虫だった…、とエステルが手にしている本を見て再度ため息。
こうなると駄目だ、話にならない。
彼女が我に返るまで待つか、いやでもそんな時間は…、と思案する。

「…私たちも立ち読みする?」
「諦めんなよそこで」
「あでっ」

人の脳天にチョップをするとは何事だ、と半眼で睨みつければ、ユーリはどこ吹く風で視線を逸らした。

「で、どうするんだ?担いでいくか?」
「それこそ誘拐犯みたいでしょ、そこに騎士団がいるっていうのに」
「じゃあどうす――…」

ユーリの声を遮るようにけたたましい鐘の音が辺りに響いた。

「警鐘…!そんな、この季節に!?」

この砦がこんなけたたましく鐘を鳴らすのは魔物が、それも特定のとあるやつだ。
それが来た時くらいしか鳴らさないはず。
しかし外から聞こえてくる地響きの音は間違いなく魔物の大群がこの砦に向かってきていることを知らせていた。

「一体なんだ!?」
「恐らく魔物よ!ここ一帯を縄張りにしているちょっとでかい魔物がこの砦に向かってる」

さすがにこの警鐘に我に返ったらしいエステルが私たちと合流してくる。
それを確認して、私は門へと走った。
開かれた門の先には土煙を上げてこちらへ突進してきている魔物の大群。

「あれ…全部魔物なの…」

エステルが信じられない、といった驚愕の表情を浮かべている。

「あーもう…幸先悪いなあ…よりにもよってあれに出くわすなんて」
「…なあ、あれちょっとでかい魔物か?」
「ちょっとでかい魔物よ」

魔物の群れの奥にいる一際でかいそれ。明らかにあの大群の主、すなわちこの平原の主だ。
季節外れもいいとこだ。出来るなら出てきてほしくなかった。

「よし!退避は完了した!門を閉めろ!」
「!?」
「そんな!まだ人がいるのに!」

砦の高台から状況把握を努めていた騎士が声を張り上げる。
彼の位置からは死角なのかそれとも見捨てる気なのかは分からないが、今閉めたら確実に取り残される人が出る。

!エステルを頼む!」
「ユーリ!?」

言うや否や、ユーリはその閉まりだした門の外へと飛び出した。
彼のサポートするかのように、ほぼ同時にラピードが門を閉めていた騎士に飛びかかり、その操作の邪魔をする。

「目立たないように…ってエステル!?」
はここに!」

そして私の護衛対象すら門の外へと飛び出した。
いや確かに人を見殺しにするのはできないけど何でそう2人して目立つような…、ああもう!

「ほんと幸先悪すぎる!」

周囲の人間に悟られないような小さな声で私は詠唱を開始する。
私が普段使う魔術は基本的に詠唱を必要としない。そもそも厳密に言うと魔術ではなく召喚術なのだけど。
だからこれは、普段は使わないちょっと面倒な召喚術。

!戻りました!」

エステルが怪我を負っていた人を連れ戻ってきたその瞬間、止まっていた門が再び閉まりだした。
私の名を呼ぶ彼女に私は答えない。
後はユーリだけ。少女を抱える彼が全力で走っておそらく本当にギリギリなタイミングで門が閉まるだろう。
もしくは間に合わないか、そのぐらいの度合だ。
ならば。

「おいで、“玄武”」

小さくそう呟いた。
詠唱を終え、対象の名を呼ぶ。

玄武。私が契約を結ぶ召喚獣のうちの1つの名。
防御壁を生成できるのが玄武の能力だが、詠唱なしでの召喚は私の周りにしか生成できない。
それならば、ちゃんと呼び起こせばいいだけの事。

(ユーリが滑り込む瞬間に…)

その瞬間を間違わないように目を凝らす。
こんな大勢の人間の前で術を使用しているのを露見させたくはない。
走ってるだけでは間に合わない、そう判断したのだろう、ユーリがスライディングの体勢を取る。

(今だ!)

門の下に潜り込んだその瞬間に、その隙間に壁を作る。
ほんの一瞬止めるだけでいい。すぐにその壁を消し去る。

「ユーリ!」

少女と共に滑り込んだユーリの下に、エステルが駆け寄った。
それを見て私も彼の下へ向かう。

「お疲れ様」
「おう」

エステルが治した青年と、ユーリが助けた少女の母親が礼を言う中、私は彼にそう労った。

「エステルもお疲れ」
「はい、本当にみんな無事でよかった……あ、あれ?」

同じくエステルにも労いの言葉をかければ、ふっと突然力なくへたり込んだ。
ああ、一気に緊張の糸が解けたのか、と私もユーリも彼女の隣に座り込む。

「結界の外って…こんなに危険だったんですね」
「そうだよ。危険な魔物がたくさんいるから、主要都市には結界魔導器が置いてある」
「さすがにこういうところには置けない、か…貴重品だしな」
「そうですよね…。今の技術では作れないですし…」

古代ゲライオス文明が蘇ればいいのに、とエステルが空を仰いで呟く。
…古代ゲライオス文明。魔導器を作ったとされている文明だ。

「…、仮に蘇ったとしても帝国が民衆の為に、ってのはちょっと想像しにくいな」

ユーリが彼女の言葉に己が思った事を返し、立ち上がる。
彼の視線の先にはこちらに歩み寄ってくる騎士の姿。同じく立ち上がったエステルを少しだけ私の後ろへと隠すように押しやった。

「そこの3人、少し話を聞かせてもらいたい」

まず間違いなく追われてる件についての話だろう。
さてどうしたものか、とエステルの姿をあまり騎士に見せないように隠しつつ思案する。

「だから!!何故に通さんのだ!魔物など俺様がこの拳でノックアウトしてやるものを!!」

…そして聞こえてきた声に私は思わずユーリの後ろに隠れた。
その怒声に私たちに話しかけてきた騎士も、そちらへと向かう。

「おいどうした」
「いや、何か若干聞き覚えのある声で…」

私の背後にいるエステルは私の背中越しに、そして私はユーリの背中から声のした方を覗き見る。
ちょっと滑稽な様子になってる気がするが、見つかる方がこの場合問題なんだ。

「簡単に倒せる魔物ではない!」

声を荒げる人物を窘めようと同じく声を荒げる騎士。
騎士の方は知らないが、そうではない方を…正確にはその集団を見て思わず顔が引きつった。
そんな私の様子に、珍しそうにユーリが訊ねてくる。

「知り合いか?」
「知り合いというか見つかると面倒な事間違いなしというか…」

引き攣ったままそう伝えると、厄介な連中だと察してくれたらしい。
私をそれとなく隠した状態のまま、ユーリはエステルにここを通り抜けるのは厳しそうだという旨を伝える。
外はいまだに地響きが鳴り響いている。退却してくれるのはいつになることだろう。

「そんな、フレンが向かったハルルはこの先なのに…」

花の街ハルル。それがフレンの巡礼の一番最初の目的地だ。
巡礼というからには他にも回るのだろうが、今ここを通り抜けられればまだ旅立つ前のフレンに会えるかもしれない。

「あ、じゃあ…」
「あら?そこにいるのはじゃない?」

ここをぬけるのが厳しいのならと、打開策を提案しようとした私の名を呼ぶ声。
思わずビクッと肩が跳ねたが、よくよく考えれば結構よく聞く声だということに気付き、声の方を振り返る。
そこにいたのはやはり見慣れた赤色の髪の女性。
振り返った私に釣られ、ユーリとエステルも振り返った。その2人を見た女性が、あら、と何かに気付いたように口元に手を当てた。

「ねえあなた、私の下で働かない?報酬は弾むわよ」

視線の先にはユーリの姿。なるほど、さっきの雄姿を見ていたようだ。
いきなりの勧誘に眉をしかめるのを隠そうともせず、ユーリは私を見やり、こちらに対して質問を投げてくる。

「誰だ?」
「ギルド『幸福の市場』の社長。こんにちわ、カウフマンさん」

私が挨拶をすれば、彼女…メアリー・カウフマンは笑顔をこちらに返してきた。

「社長に対して失礼だぞ、返事はどうした」

彼女の傍らに立っていたギルドの構成員が、ユーリに対して苦言を呈す。
その言葉にユーリはどこ吹く風といったように肩を竦めた。

「自分から名乗りもせずに金で釣るのは失礼って言わないんだな、いい勉強になったわ」
「お前!!」

当然のように食って掛かろうとした構成員。それをカウフマンさんが片手で制し、面白いと言わんばかりに笑みを深める。

「やっぱり面白い子ね。が引きつれてるだけの事はあるわ。さっき彼女が言った通り、私はギルド『幸福の市場』のカウフマンよ」

商売から流通まで仕切ってるギルド、と私が彼女の後を継いで補足する。

「ふーん…ギルド、ね」

ユーリが少々興味があるようなないような、どちらとも判断がつかないような表情でカウフマンさんを見返す。
その様子に満足そうに笑うカウフマンさんが、ふと何かに気付いたように辺りを見回した。

「…ってあら?、旦那の姿が見えないけれど?」

…一瞬時が止まった。ついでに私の意識も遠のいた。

「だ……!?ど、どういう事です!既婚者なんて私聞いてません!」
「未婚者だから言うはずもないでしょ!!!カウフマンさん!だからあれは旦那でも何でもないっていつも言ってるじゃないですか!!」

烈火のごとき勢いで食いついてきたエステルに思わず私はカウフマンさんに泣きついた。

「だっていつも一緒にいるじゃない?」
「貴方に会う時一緒にいる率が高いだけです!!」

どうやら私は泣きついた相手をミスったらしい。
若干火に油を注ぐような発言に泣きそうになる。
そうしたらその発言を受けたエステルが、堪えきれないといった具合に口を開いた。

「駄目です!夫なんて認めません!の夫は………フレンなんです!!!」

意識が遠のいた。

「…おい大丈夫か」
「……はは、はははは…大丈夫に見える?」
「いや全然」

蚊帳の外のユーリが心配してきてくれてる風を装うが、表情が面白いもん見つけたと私に語ってきている。
何だこれ…本当に何だこれ。私何か悪い事したっけ、と乾いた笑いしか出てこない。
……何とかしてこの状況を打破せねば。

「…ねえユーリ」
「ん?」
「デイドン砦の通り抜けが無理な場合の抜け道を私知ってるの」
「…つまり?」
「お願いしますあのお姫様抱えて全力で来た道ダッシュしてください」

視線の先には興奮しきりっぱなしのエステル、とそれを面白そうにあしらうカウフマンさん。
あー…と、しばし何か考えるようにユーリが黙る。

「まあこれ以上いじめるとお前がキレるか」
「おいいじめてる自覚があるなら止めてよあの人たちを」
「今から止めてやるからそれでチャラにしろって」

そう言うと、ユーリがエステルの下へ向かい何かを話し込む。
すると一瞬不満そうな表情を浮かべたものの、すぐに何か納得したような表情を浮かべ、私の方を見てきた。
つまりこの場から去る事を了承してくれたらしい。…何を言ったんだあの人。
そうなれば事は早い。カウフマンさんの下へと行き、一応の形式的な挨拶を済ます。

「すいません、私たち急いでいるのでこれで失礼します」
「あら、釣れないわね。折角の面白い子たちなのに」
「焚きつけたのはどこの誰ですか」

半眼で睨めば視線を逸らされた。

「クオイの森へ行くのね?」
「ええ。ここがこれじゃあどうしようもないですし」
「じゃああの青年を雇うのは無理、か…」
「そういう事です」
「まあいいわ。…貴方が狼狽えるなんて面白い場面に出くわせたし」
「だから誰のせいですか誰の!!!」

失礼します!と語気を荒くして、手を振るカウフマンさんに背を向け既に来た道を歩いていたユーリ達に合流する。

「話は済んだのか?」
「無理矢理終わらせてきた」
「それで、どうやってここを抜けるんです?ユーリがが抜け道を知ってるって…」
「ん?まあ…」

行先を言うとエステル辺りが少々怖気づきそうな気もする。あの森は呪いで有名なのだ。
ここは言わない方が賢明だろう。振り返って言葉を濁す。

「行けば分かるよ」




*




「ここはまさか…」
「察しの通りクオイの森。山脈を通らずに抜けるにはあの砦かこの森しかないからねぇ…」

鬱蒼と木が生い茂る。その木々のせいで森の中は光があまり差していないほどだ。
クオイの森。所謂『禁忌の森』として有名な森だ。

「クオイに踏み入る者、その身に呪い、ふりかかる……」
「確かそんな記述がある本あったっけ」
「ここを抜ければ向こうに行けんのか?」
「うん。実際に通ったことはないんだけどね」

なるほど、とユーリが合点が行ったように頷いて一番に森に足を踏み入れる。
私もそれに続き、エステルの方を振り返った。彼女の足は止まったままだ。
なるほど、呪いが怖いのか…、そう気づいたのは私だけではなく、ユーリが煽るように彼女に言葉を投げる。

「行かないのか?俺達は構わねぇけどフレンはこの先だぞ?」

意地悪な言い方だ。そんな風に言われればエステルが意を決さないはずがない。

「…分かりました、行きましょう!」

恐怖とフレンを天秤にかけた結果、フレンが重かったらしい。ユーリが焚きつけたのもあり、彼女は表情を引き締め森に足を踏み入れてきた。
それを確認して、私とユーリも足を先へと進める。

「しっかし鬱蒼としてるな」
「これ本当に抜けられるんです…?」
「…多分?行き止まりだったら戻ればいいって」
「…もし呪いで蛇やカエルになったらどうしましょう…」
「そんな大げさな」
「でも…」

がカエルになったらフレンどうすんのかな、と一人くつくつ笑うユーリにあんたねぇ…と嘆息。
カエルになってたまるか、と笑うユーリと怯えるエステルを尻目にさらに森の奥へと向かえば、ふと見慣れないものが目に付いた。

「…魔導器?」

それも朽ち果てたものだ。何でこんなものがここにあるんだろう。
ここに何かあったんだろうか?と首を傾げていれば、背後でエステルが辛そうに息を吐いた。

「足元がひんやりします…まさかこれが呪い!?」
「そんなまさか。それより大丈夫?顔色あんまりよくないけど…」
「だ、大丈夫です。先を……あれ?あれは…」

再度息を吐いて顔を上げたエステルが、朽ち果てた魔導器の存在に気付いたらしい。
ユーリもその存在に気づき、全員でその魔導器の傍に近寄る。

「魔導器か?何でまた…」

同じような疑問を口にするユーリの傍で、エステルがその魔導器をよく見ようとしゃがむ。

その瞬間。

「きゃあ!!」
「うわっ!」
「わっ!?」

視界を白く染め上げるほどの光を魔導器が発した。
ぐらぁ、とどうしようもない程の気持ち悪さに襲われ、思わず膝をつく。

「おい、!?」

ユーリが崩れ落ちた私を支えようと腕を伸ばす。
ぐらぐらと揺れる頭で何とか顔を上げれば、目の前には気を失っているらしいエステルの姿。

「ユーリ…わ、たしよりもエステルを…」
「!…分かった、とにかく少し休もう」

そう言って伸ばした腕をひっこめ、倒れたエステルの身体を担ぐ。
それを見て、私ははぁ、と安堵の息を吐き、地面に仰向けに倒れ込んだ。

「おい!」
「ん…大丈夫。ちょっと休めば復活するだろうから」

倒れたように見えたのだろう。再度慌てた声が聞こえてきたので大丈夫だという合図として手をプラプラと振って見せる。
しばらくすれば回復するのは事実だ。そういう風に私の身体は“できている”。

「エステルは大丈夫?」
「あ、ああ…気を失ってるだけだ」
「そか…よかった…」

彼のその答えにほっと胸を撫で下ろした。
瞬間、体が宙に浮く感覚。

「はっ?えっ」
「エステルが動けないんだ、お前も少し休んどけ」

現状を把握すると、所謂これは。

「い、いいいいやあのユーリ!わざわざ抱えなくていいから!!」
「米俵みたいに担ぐとお前怒るだろうが」
「そりゃそうだけど!だからってこの年にもなってプリンセスホールドとか!!」

一瞬具合の悪さがどっかに飛んで行った。
軽々と姫抱っこで抱き上げられ、思わずパニック。

「エステルもそうだが、お前も相当軽いな…ちゃんと飯食ってんのか?」
「しかもそれセクハラだよねどう考えても!頼むから降ろして!心臓に悪い!」

ぎゃーぎゃーと喚くも、当のユーリはどこ吹く風。
気を失ってるエステルの傍に来て、やっと私を地面に降ろし、自身もその傍に腰を下ろした。

「全く…何をしだすかと思えば…」
「別にぎゃーぎゃー騒ぐ事じゃないだろ…」
「う」
「あれか、免疫ないか」

面白いものも見つけた、と言わんばかりの表情でこちらを見てくるユーリ。
まずった、と目線を逸らすも、こちらを見ている気配は消えない。

「べ、別にいいじゃない仕事熱心ってことでさ、ほら…」
「いやいいんじゃねぇの?フレンは大変だろうけどな」
「…?何でそこでフレンが出てくるのよ」
「…………いや、知らないならいい」
「何それ」

何でもねぇよ焚火起こす薪拾ってくる、と半ば強制的に会話をシャットダウンし、ユーリが立ち上がる。
何なんだ、と思いつつも話し相手が消えてしまった今、会話を続けることもかなわずに、私は近くの木に寄りかかった。

「……」

体調が大分戻ってきた。ふう、と息を吐いて体を伸ばす。
どういう原因かは分からないが、あの魔導器のせいで爆発的にエアルの濃度が跳ねあがったらしい。
濃いエアルは身体に悪い。一番近くにいたエステルが酔って気を失ったのも頷ける。
第一私も体調を崩したし。

(不便な体だなぁ…)

内心でそうぼやく。この世界に来てから今に至るまで、どんどん体調を崩す事が多くなってきている。
大体の原因は分かるが、どうしようもない事だ。

…私は、エアルを必要としない。

そもそも前にいた世界にはなかった代物だ。私が常日頃使用する魔力だって、エアルから供給されているわけではない。
言わばエアルは私にとって毒なのだ。私の魔力とエアルは似て非なるもの。例えれば型の違う血液だ。体内に入れればたちまち毒と化す。
四神と契約している恩恵で毒を食らう事は避けられているが、今回みたいに高い濃度のものを浴びると先程のようになってしまう。
私の中にある魔力が底を尽いても同じ事だ。この魔力が尽きる事はすなわち四神との契約が切れる事を意味している。
何とかしないと、と常々思うが、この毒と混ざり合う手段を私はいまだ見つけられていない。

「あと何年保つのかなぁ…」

ぼそり、とそう呟く。

ふと、背後で茂みが動く音がした。その音にはっと我に返り、そこから飛びのき剣に手をかける。

「よっと…」
「って何だユーリか」

茂みから現れた見慣れた人物にほっと安堵の息を吐いた。
何だとは何だ、と不満そうに言葉を返すユーリの手には、木の枝や木の葉が大量に抱えられている。

「体調の方はもういいのか?」
「うん。もう私は大丈夫」

焚火の準備をしだしたユーリを手伝いつつ、エステルの方をちらりと一瞥する。
起きる気配はなさそうだ。時刻はもうとっくに夕方だ。このまま起きなければここで野宿が得策だろう。
そう提案した私の言葉に、エステルの枕となってくれているラピードがわふ、と同意するかのように一声鳴いた。

「そうだな、そうなったらここで野宿とするか」
「食料とかどうしようか」
「木の実でいいなら持ってきたぜ」
「あ、ナイス…っとこんなもんかな、“朱雀”」

焚火の準備を終えたのでぽつりと名を呼べば、翳した手の先に火が発生した。

「毎回思うがそれどういう仕組みなんだ?」
「ふっふっふ…内緒」

答える気はさらさらないという意思を察してくれたのか、軽くため息を吐いて私に木の実を渡してきた。
オレンジのような果実だろうか、と受け取った木の実を齧る。

「……………」
「どうした?」

齧って沈黙。そして首を傾げるユーリの口に問答無用でその実を押し込んだ。

「同じ苦しみを味わえ!」
「むがっ」

口に含んだ途端お世辞にも褒めがたいレベルの苦みが広がったのだろう。
端正なその顔が途端に渋面を作った。

「にがっ…」
「ははは!どうだ私の苦しみが分かったか!…何か水とかない?口の中が苦くて苦くて…」
「お前なぁ…」

「うーん……」

「「!」」

くだらないやりとりをしていたら、エステルから声が上がった。
目を覚ましたのか、と振り返ればちょうどぱちりと目を開き、横たわっていた体を起こす。

「大丈夫か?」
「少しまだ頭が…でも平気です」
「ならよかった」

エアル酔いが軽度で本当によかった。重度のものがどの程度なのかは分からないが、
今こうして目を覚ましたという事はあまり心配する必要はないだろう。
ふう、と一息吐いたエステルは徐に立ち上がった。どうやらすぐにでもハルルに向かいたいらしい。

「倒れたばっかなんだ、もうちょいゆっくりしとけ」
「そうはいきません。フレンに追いつかないと…」
「ユーリに私も賛成。また倒れないとも限らないし、休んだ方がいいよ」
「でも……!…そうですね」

ユーリと私の咎める声に、彼女は立ち上がった体を再びその場に座らせた。
ぱちぱちと焚火が爆ぜる音が響く。
人の声がしない沈黙を破ったのはエステルだった。

「ユーリ達は、フレンの心配はしてないんです?」
「してないように見えるか?」
「はい…」
「まあ心配してないしねぇ…」

いつかユーリと会話した内容を思い出す。

「ガキの頃から何やってもフレンには勝てなかったからな」
「そうなの?」
「ああ、かけっこだろうが剣だろうがな」

その上勝った後決まって“大丈夫?ユーリ”と手を差し伸べるらしい。
容易に想像できてしまって思わず苦笑が零れた。すごくフレンらしい。

「羨ましいな…私には、そういう人誰もいないから…」
「いても口うるさいだけだぞ」
「その口うるさいのも羨ましいものなんだよ」
「そういうもんか?」
「そういうもん」

古くからの幼馴染がいないのは私も同じだし。
何でも言い合える仲の人間がいる事はやはり少々羨ましい。
ちょっと一瞬浮かんだ人物がいたが、いやいやそれはないとその浮かんだ人物を打ち消した。
いくら何でもあの人はない。そもそも何でも言い合えてないし。

「?どうしたんです?
「いや、嫌な奴思い出してげんなりしただけ…」

それもこれもカウフマンさんのせいだ。あの野郎…と口の中でぼやく。野郎じゃないけど。

「ほら」
「ん?」

ごそごそと何かを作っていたユーリが、徐にそれを差し出してきた。

「サンドイッチです?」
「とりあえず腹ごしらえってやつだ。城や貴族専属のコックと比べんなよ」

一瞬先程の木の実が頭を過り躊躇うが、その出来事を知らないエステルは嬉しそうにそれを口に運ぶ。
ま、さすがにこれがまずい事はないか、と私も彼女に続いてサンドイッチを口に運んだ。

「あ…すごくおいしいです!」
「本当だ」
「エステルはともかくお前…」
「あんな木の実渡された後に警戒しない方おかしいでしょうが」
「木の実?」
「すっごい苦い木の実。エステルも食べる?」
「…苦いんです?」
「やめとけ」
「あでっ」

私とユーリが口にした例の木の実を渡そうとしたら、問答無用で頭にチョップを食らった。
何か私しょっちゅうユーリにチョップを食らってる気がするんだが…、そう言えば自業自得と返ってきた。ひどい。

「さて…エステルも食い終わったことだし、そろそろ出発するか」
「わん」

エステルが最後の一口を飲み込んだのを確認し、ユーリとラピードが立ち上がった。

「そうだね。立てる?エステル」
「はい」

それに同意し、私も立ち上がりエステルに手を差し伸べる。
迷わずにこの森を抜けられればハルルで宿を取れるような時間帯だ。
薄暗い森で野宿するのはエステルもいる事だしなるべく避けたい。
今日中にハルルに着くのは難しくとも、野宿をするのならせめて平原に出ないと。

「じゃあ急ごうか、なるべく早く森を抜けちゃおう」
「そうですね、フレンにも追いつかなければいけませんし…」

内心でもうハルルにはいないんじゃないかな、と思っていたりもするが、そこは黙っておく。
いや、だってもう最後にフレンに会ってから…つまり巡礼の為の出発日の前日に会ってから、もう2週間近く経ってるし…。
さすがにハルルは経った後の気がしてしょうがない。そうなるとこの旅はもう少し続けなければならないわけだ。

「…まあ、私は別に構わないんだけどね」
「何か言ったか?」
「いーや何にも?」

とりあえず、ハルルに辿り着こう。話はそこからでも遅くはない。




06.あまりよろしくない幸先




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思い出したのはあの三十路の弓使い
20111103