「これは何の声だろうねキルア」
「俺が知るかよ」

扉の向こうから聞こえてくる猛獣の唸り声とも取れるような何かの声。
閉じられた扉を開ける手段を私達受験生は誰も知らない。つまり何の声なのか知る事が出来ない。

…今から数十分前、クラピカやゴンとレオリオの香水の匂いを追えば、何とか二次試験会場前にたどり着くことができた。
前、というのは会場に入る為の入り口が固く閉ざされているからだ。扉には本日正午に二次試験が始まる旨が書かれたプレートがかかっている。そして何故か扉の向こうから獣の唸り声のようなものが響いてきていた。
正午まであと少し。なるほど、間に合ったわけだ、と3人でほっと胸を撫で下ろすのも束の間。すぐにレオリオの姿を探し出した。
彼は案外すぐに見つかった。…頬を盛大に腫らし、おまけに湿原での出来事をすっぱーんと忘れていたけれど。
ゴンにこっそりと事情を聞けばヒソカの拳一発で宙を舞ったらしい。おう…それは…記憶障害だけで済んでよかったとしか言えない。
これは言わない方が彼の為だ、と3人で頷き合う。

「よぉ」
「キルア」

軽く手を上げこちらにやってきた少年を4人全員で見やった。

「どんなマジック使ったんだ?もう戻ってこれないかと思ったぜ」

驚いたような、感心したようなそんな表情で訊ねてくるキルアに、ゴンが今までの経緯を説明しだす。
説明すればするほどキルアの顔が引きつっていく。そりゃそうだ。誰が香水の匂いを辿れる人間がいると思うのだろう。
ましてやここに来るまで嫌という程動物の亡骸があったというのに。つまりは血まみれの道を通ってきたのだ。
よく血の匂いで分からなくならなかったな…と今更安堵する。まあ最悪術でも使えばどうとでもなるのだろうけど、ヒソカに完璧に目を付けられてしまった手前、それは出来るだけ避けたい。
ありえねー…とぼやくキルアと共に扉を眺める。これが冒頭だ。
獣のような唸り声。何だろう。バトルロイヤルとかだろうか。それにしては殺意や敵意が扉の向こうから感じられないけど。
獣じゃなきゃこれは一体…?と首を傾げつつ、腕に巻いていた時計を見る。

「ん、もう正午だ」
「!」

そう呟き終わったと同時に皆の注目を一身に集めていた扉が重くゆっくりと開きだした。
受験者各々が何が出て来るのか、と身構える。

扉の先には受験者全員が呆気に取られる光景が広がっていた。

「……人?」

1人の女性と、巨漢、と表現するにはでかすぎる男性。
そして男性の腹からは先ほどから私達が耳にしていた唸り声。…おいまさか唸り声じゃなくてこれは…。

「腹の虫…?」

あんな音出す人間がいてたまるか。いや目の前にいるけど。
皆が皆信じられないものを見るような目つきで男を見る。
まさかあの2人が二次試験官?パッと見美女と野獣の組み合わせ。一体どんな内容を出してくるというのだろう。
さっぱり見当がつかず相手の出方をうかがっていれば、女性の方がにやりと笑い男性とアイコンタクトを取る。

そして、不敵な笑みを浮かべたまま、その口をゆっくりと開いた。




*




「人がヒィヒィ言って豚を献上すれば、今度は寿司か…何だこの二次試験」

ぼんやりと空を仰ぎながら愚痴る。

二次試験のテーマはずばり『料理』だった。まず最初に男性の方が豚の丸焼きを所望。
この湿原で捕まえられる豚なら何でもいい、との事だったがどうあがいてもでかくて凶暴な豚しかお目にかかれない現実が私たちを待っていた。
いやいやいやこんなでかい豚とかいるのっていうか何そのでかい鼻、あと何でこっち睨んでるのその鼻でつぶす気満々ですね?
とか色々思ったり、その豚を捕まえて丸焼きにしたり、と色々あったが、何とかその豚の丸焼きは合格を得られたわけで。
“朱雀”を呼んで丸焼きにしてもよかったが、ゴン達と一緒に行動していた手前そのような事出来るはずもなく。
めんどいなーっていうかこれ美味いのかなーまずい不合格とか言われたらどうしようと危惧もしたのだが、豚が食えれば試験官はそれでよかったらしい。
毛とか諸々何も処理していなかったのに彼は骨しか残さなかった。どんな大食いだ。っていうか大食いの域越えてるだろ、グルメハンター怖い。

…なんて色々考えさせられる事があったのだが、まあ兎にも角にも合格を得たのだ。
次は何だ、と身構えれば、女性の方があろうことか寿司を所望してきた。
寿司、という言葉に受験者達がどよめく。言われてみればこの世界でお目にかかった事は片手で数えるほどしかない。
恐らくジャポン限定の食べ物だ。ジャポン…私の世界で言えば日本。首都は江戸だというから厳密には違う国なのだけど。
ずっと昔に食べた寿司の味を思い出しまた食べたいなーと現実逃避していれば、ゴン達に不思議がられた。
ゴン達は知らない、そしてクラピカは文献で読んだだけだという。
魚を使う、というクラピカの言葉にレオリオが大声で反復し、受験者全員が寿司=魚を使う料理という方程式を知る事となり、皆が皆会場から一番近い川から魚を取ってきて、こうして調理場に立っている現状に至るわけで。

「っていうか川魚って…美味い…んだろうか」
「?はスシが何か知ってるの?」
「ん?まあ食べた事あるし」
「おいマジか!なあ教えてくれよ作り方!」

ゴンの問いに頷けば、会話を聞いていたレオリオが目を輝かせながら会話に混ざってきた。

「うーん…教えてもいいような何も知らない皆が作る寿司を見てみたい気もしなくもないような…」

目の前でまだビチビチ酸素を求めて蠢く魚を見下ろしつつ、そうレオリオに言葉を返す。 何で魚がカラフルなんだろう。この世界って食材がどぎつい色をしている事が多い。
個人的にはこんな魚など食べたくもないが、持ってきてしまったものは仕方ない。

「まあ私の作り方見てれば大筋は分かると思うけど…一度くらいは自分で作って提出してみるのも悪くはないと思う…よっ!」

魚の捌き方など知らない私に、綺麗な三枚おろしなど求めないでいただきたい。
握った包丁を勢いよく振りおろし、頭と胴体を切断する。この後どうやるんだっけ…確か身、骨、身で3分割したのを三枚おろしって言ったんだっけ?駄目だあやふやすぎて自信ない。
それなりにでかい魚をぶつ切りにしだした私を見て顔を引きつらせるレオリオ達をスルーして、血を抜こうと悪戦苦闘。
その様を見て、これ以上教える気はないらしいと判断したようで、彼らは一様にそれぞれ自身が考える寿司とやらを作り出した。
うん。酢飯の上にそのまま魚を乗っけてるのを目の当たりにしたがツッコミを入れないでおこう。っていうかそれが寿司かレオリオ、どう見てもそれ酢味のおにぎりだ。
ああ…得意げに試験官に提出しに行っちゃった…ああ…試験官が放り投げた…。
ありゃあ無理もない、とその様子をちらりと眺めながら魚の皮を剥いでいく。こうなりゃやけだ。見た目がそれっぽければもうどうだっていいだろう。
適当に捌いて、それっぽい見た目に仕上げる。ちなみにこの工程の途中でレオリオのと大差ない寿司とも呼べない何かを作り上げ自信満々にゴンとクラピカが持っていっていたりする。ちなみにどっちも放り投げられていた。

「うし、できた」
「それが…スシ?」

隣りでこちらを観察していたキルアが首を傾げてきた。

「んー…多分…?いや、見た目は寿司なんだけど魚とか握り方とか色々素人だしなぁ…」
「んなもん変わりねぇんじゃねえの?」
「そうは行かないよ。ほら、人を殺す時だって数ミリずれれば即死じゃなくなる部位とかあるじゃない?料理も一緒だよ。ちょっと違うだけで味がまずくなる」
「いやその例え方はどうなんだよ」

半眼で呆れてくるキルアにこちらが言葉に詰まる。き、キルアがゾルディックの子だから分かりやすい例えを出したというのに!
ともかく提出だ、と半ば諦めの境地で試験官に出しに行く。
一応外見は寿司の物体に、彼女は機嫌をよくしたらしい。目を輝かせだした。

「お?おおお、やっとまともなものが来たわね!どれ…」

嬉しそうに醤油を付けてその物体を頬張る。
そしてしばしの咀嚼。

「………まずい」
「ですよねー」

途端に顔に渋面を作った試験官に苦笑いしか出来なかった。

「握りの方はまあ悪くないと思うけどあんたねぇ…あの川ならほかにもっとまともな魚いるでしょっていうか自分で刺身として食べてみた?」
「………あ」
「はい残念次の人ー」

要約すると魚がくそまずい、と。
やっべそういや味見してなかった、と自分の調理台に戻って先程捌いた魚を味見。

「…………ああこりゃ駄目だ」

味見して納得。駄目だこれ、というか表現するのも厳しい。何ていうんだろまずい、って一言で表現するのは悔しい感じ。もちろん悪い方向で。
こんなの出してよく怒られなかったな、と水で口の中を濯ぎながら試験官に感謝。

「どうだった?」
「…食べてみれば分かる」

口を何度も濯ぐ私の所にキルアがやってきた。
頭上にハテナマークを浮かべるキルアの口に刺身となった例のあれを突っ込んでやれば、一瞬目を白黒させるもすぐにおとなしく咀嚼しだした。

「…!!!!?!」
「ねーまずいでしょー」

むせ込んで慌てて私と同じように口を濯ぎだしたキルアに、私はハハハと乾いた笑いを浮かべる。

…この後もちろんキルアにキレられたのは言うまでもない。




*




そこから事態は坂道を転がるかのように悪化の一途を辿って行った。
296番のプレートを付けた忍者っぽい受験者は、どうやら本当にジャポン出身の忍者らしい。私と一緒で寿司がどんなものかを知っていた。
が、料理のいろはを私以上に知らなかったらしい。キルアが先程言ったような事…つまりは誰が作っても似たような味になるだとかそういう事を試験官に対して言ったのだ。
それが彼女の逆鱗に触れた。グルメハンターとしてのプライドが許さなかったらしい。
まあ素人にぼろくそに言われたら短気な人はああなるなぁとかぼんやり眺めていれば、296番に怒鳴り散らしただけでは気が済まなかったようで、試験の難易度をあろうことか跳ねあげた。
つまりプロのグルメハンターを満足させる味を作れ、と。いやいやそれは無理だろどう考えても!男性の試験官と違い明らかに味にうるさそうな彼女。
文句を垂れる受験者もいたが、キレた試験官に睨まれて一蹴。
え、これやばくね?と寿司を提出しようと試験官の周りに集まる受験者達に危機感を覚えたが、もう後の祭り。

ずずずーっと所謂あがりを飲み、一息吐いた彼女の言葉は場を凍らせるのに十分だった。

「わり!お腹いっぱいになっちった!」

あちゃーと手にしていた包丁をまな板の上に置く。
あまり食べる方ではないだろうとは思っていたが随分早く締め切られてしまった。
どうしよう、と思うのは私だけではない。受験者から戸惑いの声が溢れる。
明らかに雰囲気がやばい。試験官が短気なように、受験者も全員が呑気…この場合このような事態になってもキレない程度の…なはずもなく。

「ふざけんなよ…」

殺気にまみれた声がこの場に響いた。そしてそれに続いて調理台を壊す音。
拳で壊したらしい、255番がその殺気を隠そうともせずに試験官を睨みあげていた。
あーあーあー、面倒くさいことになってきた。試験に不合格なのも面倒だが、そんな殺気を溢れさせてみろ。背後からぞわぞわとした気持ち悪い殺気がだね、溢れてきてるっていうかね。
背後は決して振り返らない。こんな気持ち悪いのを発せるのはヒソカくらいだ。ああすごく楽しそうだ、理解できないししたくもないけど!
勘弁してくれよー…と内心で怯えていれば、試験官の挑発的な一言が255番を完全にキレさせていた。
まあ、残念来年がんばってーとか言われたらそりゃキレる。
だが真正面から挑むのはいただけない。横目でちらりとその様子を眺めていれば、意外にもその暴れ出した受験者をおとなしくさせたのは男性の方の試験官だった。
張り手一発で会場の外へと吹っ飛ばすその力に思わず目を見張る。

(あら優しいことで)

てっきりあの受験者は死ぬと思ったのに。その考えを裏付けるように女性の試験官が手にしていた出刃包丁のような武器を不機嫌そうにジャグリングしだす。
もし男性の方が弾き飛ばしていなければ細切れにされていたに違いない。いやはや恐ろしい事で。
だが会場の鎮静化には効果はてき面のようだった。グルメハンターと言えどプロハンターの実力を目の当たりにして、255番と同じように殴りかかろうとしていた面々がたじろぐ。
だがどうしよう。会場の鎮静化と言ってもそれは受験者達だけの話だ。試験官はご覧の通り殺気丸出し。ついでにヒソカも。
この場全員不合格というのを取り消してくれる雰囲気じゃないしなー…と様子を伺っていたその時。

『それにしても、不合格者0はちとキビシすぎやせんか?』

何処からともなく聞こえてきたその一言で、事態は急変する。




*




乗るたびに何度も思う。何故この世界に飛行機はないのかと。
ゴウンゴウン、という稼働音を聞きながら、ぼんやりと外を眺める。

聞こえてきた声は何度か聞いたことのある声だった。
まさか、と声が聞こえた方…つまり空を仰げば、その予想通り。見知った人物がその空から降ってきた。
彼の名はネテロ、ハンター協会の会長だ。つまりは一番偉い人。
何度か会ったこともあり、尊敬している人物の一人だが、私の絶対に喧嘩を売りたくないリストのトップにも君臨している人物でもある。
ちなみに何歳かは知らない。先代が生きている頃に一度聞いたが、あの人もネテロさんの年齢を知らなかった。
会長の登場に場がどよめくのも当然の事。そのどよめきの中、ネテロさんはあれよあれよと言う間に再試験の場を設けてしまった。
もちろん誰も拒否など出来るはずもなく、再試験が行われ、その合格者はこれまたあれよあれよと言う間にこの飛空艇に詰め込まれたわけで。

ああ、あのゆで卵美味かったなぁ…と再試験の内容を思い出す。
ああいった美味さを探し求めるのがグルメハンターか。素敵な事じゃないか。
このハンター試験が終わったら何か美味しいものでも求めにちょっとしたプチ旅行にでも出ようかなぁ。

「…………駄目だヨークシンの準備しなきゃ…」

うふふ楽しみーなんて考えていた私の脳裏に金髪の友人が浮かび、がっくりとうなだれた。
すっかり忘れていた。ああ面倒くさい、けど仕事は仕事だし…くっそこうなったらルシルフルさんにちょっと膨大な金額請求してやろう。
…なんて不穏な事を考えていれば、ふと鼻孔をくすぐる独特の匂いに気が付く。

「…?」

あれ、とその匂いの方を振り向けば、その向こうから白髪の少年が姿を現した。

「キルア」
「…何だお前かよ」

疲れた風な彼が、私の横を通り過ぎる。
そのキルアの手をパシリと掴めば、途端に場が凍りついた。
正確にはキルアの纏う空気が、だ。
殺気をこちらに向けてくる彼に、その殺気をスルーしつつ訊ねる。

「これ、何人?」
「!」

間違いない。血の匂いだ。
こりゃ殺ったな?と内心でため息を吐けば、キルアは知らねーよ、と素っ気なく答えてきた。
まあ一々殺した人間の数なんか数えちゃいないか…。おそらく苛立っていたところに現れた受験者の首を刎ねた、とかだろう。

「まあ別にいいけどさ、もーちょっと血の匂いは消した方いいと思うよ私。あと殺気」

その2点で偉く喜ぶ奴がこの飛空艇に乗ってるから…と遠い目をしながらあの奇術師を頭に思い浮かべる。

「……怒らないんだな」
「?何で怒る必要あるの?」

私の返答に毒気を抜かれたらしい。何だそれ、といつもの口調に戻りだしたキルアにばれないようにこっそりと笑う。

お前本当に何者なんだよ…」
「うーん…ゴン達みたいに健全な表社会を生き抜く人じゃあない事は間違いないかなー」

詳細は内緒、とやっぱりはぐらかす。ちょっと言ってもいいかな、とぐらついたが、いやいやせめて白状するのは試験終わってから、と思いとどまる。

「まあ君がゾルディックの三男坊ってのも知ってるし、第一会った事あるからね、私」
「…マジ?お前と?」
「そ。まあキルアがこーんなちっさい時だったけど?」
「人間を示す大きさじゃねえだろそれ」

ふざけて片手で大きさを表現してみれば、キルアがやっと笑ってくれた。
それに満足して頭を撫でてやれば、自分が笑った事に気付いたのか照れたように私から目を逸らした。

「子供扱いすんじゃねーよ」
「10歳も下の奴が文句を言うんじゃありません」
「変な奴」
「まだ言うか」
「…なあ、アンタ、人殺した事あるか?」
「…。あるよ」
「…そっか」

わしゃわしゃと頭を撫でてやりながらそう答える。
どう思ったのかは知らないが、どこか納得した風なキルアの声音に、私は彼の頭をぽんぽんを叩いた。

「とにかく。あんたはシャワーでも浴びてきなさいな。汗だくのままねると朝ひどい目に遭うわよ」
「うっせーな、わーってるよ」
「よろしい」

私の手を振り払ってシャワー室の方へと向かうキルアを、払われたその手を振って見送る。
廊下の角を曲がり完全に姿が見えなくなったのを確認して、ふう、とため息を吐いた。
場の雰囲気に逆らえずにぽつりと言ってしまった。

「守秘義務が聞いてあきれるなぁ…」

どうも子供相手だとホイホイ色々喋ってしまいそうになる。現に喋ってしまった。人殺しの経験。
イルミさんの仕事のお手伝いとか、蜘蛛のお手伝いとか。というかこの世界に来る以前に経験済みだ。まあ…色々修羅場を潜り抜けなければ今の私はいなかったわけだし。
ゴン達にならともかくキルアに隠す事でもないのかもしれないけど、ぽろりと喋ってしまった事実に項垂れる。
これはもしかすると試験前に自分の素性をうっかり漏らすかもしれないなぁ…とそんな事を思いながら真っ暗な外を眺める。

(そういや何でイルミさんと知り合いって隠してるんだっけ?私)




04.それは単なる意地のような






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一度隠すと後引っ込みがつかなくなるパターン
20111213