「うーん…ステーキ定食…」
じゅうじゅうと煙を上げるプレート。そして私はそのプレートの上に乗っている厚切りのステーキと睨めっこしていた。
ここはザバン市の何の変哲もない定食屋……から入れるエレベーターの中だ。
下へ下へと向かうエレベーター。これに乗っていけば、今回のハンター試験の一次試験会場にたどり着ける、らしい。
調べた情報が正しければの話だけど。定食を弱火でじっくり。指定したら店主の顔が微妙に強張ったからあってるとは思うけど。
いや、いいんだ。違ってたらそれはそれで情報屋としてどうなのとは思うが、問題はそこじゃない。
「食べるべき…だよなぁ…」
この分厚い牛肉。絶対重い。食べたらしばらく胃が気持ち悪くなる事請け合いだ。
しばらく悩んだが、ええいままよ!とナイフとフォークを手に取る。
満腹になったところでそんな動けなくなるとか軟な体ではない自信は一応あるので…多分大丈夫。多分。
(それにしても……)
このエレベーターに乗って随分経つのに、全然止まる気配がない。
ザバン市の地下はこんな事になってたのかと驚くと同時に、一次試験の内容が大体見えてきた。
ここまで地下深く潜るとなると、何らかの形で地上に出なくてはならない。
このエレベーターが向かう先がどうなってるか分からないので何とも言えないが、自分の力で地上に出なくてはならない可能性が高い。
マラソンかはたまたロッククライミング的な何かか…。どんなものにしろ体力を使いそうなのが目に見えている。
試験内容は先に知ったらつまらなくなりそうだから、と何も調べてこなかったのだ。
ここが会場入り口になってるところまで調べて、臨時休業の看板を出して、連絡しろとうるさいルシルフルさんにも一報を入れて、現在に至る。
そういえばシャルが言っていたルシルフルさんのストーカーってどんな人だろう。
男という事以外何も知らない事に今更気づく。あれだけ念を押されたんだ、よっぽどの人なんだろう。
…そう思い、一応変装という名のイメチェンをしてきてはいるのだけれど。伊達メガネなんて初めてかけた。
これで変装になってるかと聞かれたら答えはノーだ。何かこう…雰囲気?だけでも味わいたくて?
変装とかかっこいいじゃん、探偵っぽい。情報屋は本来探偵に近いようなものの気もするけど。
それもこれも蜘蛛の面々やイルミさん達が無理難題を押し付けて来るからだ。私は情報屋だっつってんのにあいつら。
肉を頬張りながら内心で愚痴っていれば、チーンとベル音が鳴った。それと同時にエレベーターが止まる。
「あれ、着いた?」
開いていく扉を見て、着いたことを確信。
やっと着いたか、と席を立ち、その扉をくぐる。
瞬間、大量の人間の目という目がこちらを見た。そしてそれも一瞬で、すぐにふいっと目を逸らされる。
エレベーターまでの道のりとは空気が明らかに違う。ここが試験会場で間違いなさそうだ。
緑色のやけに小さい人間(…なのだろうか)から番号プレートを受け取る。おそらく受験番号だろう。399番。
まあのんびり来たしなー…にしても語呂悪い、とそれをぼんやり眺めながら適当な壁に寄りかかり、さりげなく辺りを見回す。
例のストーカーを探してもいいけど、探していた事がばれた時すごく面倒臭そうな事になりそうなのでやめておこう。
そもそもこちらが見つけるよりこちらが見つかる方が早そうな気がする。
「う…うわあああああああああああ!!!」
不意に男の悲鳴が会場に木魂した。
それに釣られ、私を含め大多数が悲鳴のした方に視線を向ける。
「腕が…!俺の腕がぁああ!!!」
「くすくす…ぶつかったらちゃんと謝らないと◆」
ぞわっと背筋を気持ち悪い何かが駆け巡る。
それと同時に理解。あれがルシルフルさんのストーカーに違いないと。
視線の先には2人の男の姿。片方は両腕がなく、もう1人はピエロです、と言わんばかりの恰好の男。
ピエロの方が恐らく切ったのだ、男の腕を。切った腕が見当たらないのは何らかの能力か。
念を使えるようだし彼で確定か…とその姿を目に焼き付ける。なるべく彼を見つけたら近寄らないようにするためだ。
私同様その様を見ていた他の受験者が口々にピエロの方について情報を口にしだす。
彼の名はヒソカ。去年も試験を受験したらしいが試験管を半殺しにして不合格。それで今年も再受験。
殺人鬼として有名、らしい。強者好きが高じて快楽殺人者とでもなったのだろうか。
まあとにかく、お近づきにならない事が私の第一の目標だ。
常時“絶”で過ごしてはいるが、先程男に対して向けていた殺気をもろにこちらに向けてきたら身構える事請け合いだ。
こそこそとしていよう…とあまり意味はないが、かけていた伊達メガネのブリッジをくいっと押し上げる。
「お姉さん!」
少年の声。その声をした方を振り向けばこちらを見ている黒髪の少年の姿。
「ん?何か用かな?」
10代になりたて、くらいの年齢だろうか。こんな子でも参加できるのか、と少々感心する。
「ううん、ただ珍しいなーって。お姉さんみたいな若い女の人が1人でここにいるなんて」
“ってレオリオが言ってたんだ”と続ける少年。その少年の後ろには黒髪の青年と金髪の………男?女?とりあえず青年としておこう。
レオリオ、という名が挙がった途端慌てだした黒髪の青年の方がそのレオリオという人物なのだろう。一応ではあるが軽く会釈をする。
「まあ…うん、確かに女の人少ないしね。珍しい、かも」
辺りを見回しても男だらけだ。しまった、もしかして女というだけで目立つのだろうか。
だとしたら男装でもしてくるべきだったのかもしれない。今更ではあるけれど。
「君もルーキーなのか?」
「え?ああうん。そうだよ」
金髪の青年からの問いに答える。
も、ということは彼らも同じくルーキーという事か。
「私は。えーっと…君たちは…」
「ああ、すまない。自己紹介が遅れたな。私はクラピカ」
「俺はゴン!」
「…で、先ほど君を話題に上げたのがレオリオだ」
何だその言い方!と黒髪の青年…レオリオがクラピカに噛みつく。
その2人の様子にゴンと思わず苦笑。殺伐とする会場には場違いな3人だ。もちろんいい意味で。
「面白い人たちだね」
そうゴンに言えば、その言葉が耳に届いたらしいレオリオとクラピカが気まずそうに咳払いした。
それにさらに私とゴンが笑う。周りがピリピリしているのが嘘のようだ。
私の周りにいる人間でこういう和やかな雰囲気を作る人間がいないのも大きな理由だと思うけど、こう…和む。すごい和む。
「あんたらルーキーだな?」
うおお…撫でたい…超撫でたい…とゴンの頭部を見ながら内心で和んでいれば、ふとまた話しかけられた。
今度は私だけではなく、ゴン達も含まれているその言葉に4人共そちらに視線を向ける。
そこにはジュースを抱えた一人の男の姿。年齢はおそらく30代くらいだろうか。
「そうだよ、おじさんは?」
「トンパだ。俺はもう35回以上受験しててね、所謂ベテランってやつさ」
そうなんだ、すごいね!と笑顔で答えるゴンの後ろで、私たちは、あんまり褒められた事じゃないよねぇ…と頷き合う。
35回以上ってつまりは35回以上落ちているという事だ。才能がないのかはたまた受験することに意味を見出したのか。
無邪気に笑うゴンはただ純粋にベテランという言葉に感動してるみたいだけど。
「ほら、お近づきの印だ、やるよ」
そのゴンに対し、そして私たちに対しても手にしていたジュースを渡してきた。
トンパ自身も同じジュースを手にし“乾杯だ”と言ってそれを口にする。
その缶を受け取り、思わずレオリオ、クラピカと顔を見合わせた。
恐らく同じような事を考えているのだろう。中に何にも入れられていないのか。
ここはハンター試験の試験会場だ。試験開始前に潰しに掛かる人がいてもおかしくない。
というかいるだろう。この人がその人だという可能性もあるわけで。
…とかなんとか色々考えている間に、ゴンがいただきまーす!と呑気に口を付けた。
「あ、ちょ…」
しかし、制止する前にそのゴン自身が口に含んだジュースを吐きだした。
ぎょっとする私たちをよそに、味が変だとトンパに言う。
「ああやっぱり…」
それにしてもすごい味覚だこと。やっぱりハンター試験を受けにくるだけあってそこら辺の子供とは違うか…。
ちょっともったいない気もしたが、ゴンの様子を見て私達は躊躇いなく貰ったジュースの中身を地面に流す。
ジリリリリリリ!!!!
耳をふさぎたくなるような大音量のベルの音が、辺り全体に響き渡った。
何だ何だと周囲がざわめく。ベルの音の方を見れば、そこには1人のスーツを身にまとった男がベルを片手に立っていた。
「ただいまを持ちまして受付時間を終了とさせていただきます」
恭しく頭を下げる男が、淡々と言葉を紡ぐ。
私達受験者を一瞥してから、彼は背を向けそのまま当然のように歩き出した。
「これより、ハンター試験を開始いたします。こちらへどうぞ、ついてきてください」
ぞろぞろと先頭のスーツの男についていく受験者。もちろん私達も頭数に入る。
男からハンター試験を受けるにあたっての最終確認を説明されながら、私たちは地下道を歩く。
最悪死ぬかもしれないハンター試験。引き返すならいまのうちだぞ、という話だ。
先程のヒソカの一件を皆が思い浮かべただろうが、帰る者などいるはずもなく。
それについてちょっとレオリオが少し残念そうにぼやいた。まあ競い合う人間は確かに少ない方が気持ち的には楽だろうけれど。
男の言葉に返ってきたのはもちろん沈黙。それに彼は満足そうに頷いた。
「承知しました。第一次試験、405名全員が参加ですね」
その言葉を皮切りに、徐々に…本当に徐々にだが、それでも確実に歩く速度が速くなっていく。
もちろんそれに気づかない人間などこの場にいるはずもなく。
「お、おい何だ?」
「進むペースが早くなっている…?」
「前の方が走り出したんだよ!」
ゴン達が戸惑いを含む声音で推測を口にする。
「ああ…やっぱり体力測定…」
「え?」
「いや、多分これ…」
先程の男、念を使えるようだった。ならばこれはおそらく、と口にしようとしたその時、前方からその彼の言葉が聞こえてきた。
「申し遅れましたが私、一次試験担当官のサトツと申します。これより皆さんを二次試験会場へご案内いたします」
その言葉を聞いて、軽くため息を吐き私はかけていた眼鏡を胸ポケットの中に入れる。
試験官の言葉にレオリオが軽く顔をひきつらせた。
「おい…じゃあまさか一次試験ってのは…」
「そうだよ、多分レオリオが想像してる通りだと思う」
「お察しの通り、一次試験はもう既に始まっております」
息を呑む受験者を尻目に、試験官のサトツさんは言葉を続ける。
「二次試験会場まで私について来る事…これが一次試験で御座います。場所や到着時刻はお答えできません、ただ私について来ていただく…それだけです」
恐らく皆が先程使ったエレベーターの落下時間を思い出しているのだろう。大分というかかなり潜ったのは間違いないのだから。
…さっきのステーキが胃もたれを起こさなきゃいいけど、と先程食べた肉を思い出し、私はもう一度ため息を吐いた。
01.変装など意味もなく
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変装と称して眼鏡をかけてきたのに外す体たらく
20111201