「嘘だ!そいつは嘘を吐いている!」

湿原を一望できる高台と今まで上ってきた階段。
それらを隔てるシャッターが下りきったその瞬間、この場にいる全員に聞こえるような音量の声が辺りに響いた。
物陰から傷だらけの男がゆらりと現れ、手にしていた麻袋を受験者全員に見えるように放り投げる。

「!!」

袋から覗いたのはサトツさんそっくりの…顔を持つ猿の亡骸。猿のようなもの、と表現した方がいいのだろうか。

「そいつは偽物の試験官だ!!俺が、俺が本物の試験官だ!」

傷だらけの男が言うには、人面猿の仕業だという。人面猿。知能が高く力が弱い…その為人に扮し他の生き物と連携を取り餌を捕食する生き物だ。
確か新鮮な人肉を好んだはず。なるほど、大量の受験者はご馳走なわけだ。
男の言葉に何人かが動揺の言葉を口にする。
その様子を眺めていたキルアが欠伸交じりにくだらねぇ…とぼやいた。

「分かるの?」
「ん?当たり前だろ」
「こりゃ失敬」

ひそひそと会話。そう、キルアの言うとおりどちらが偽物なのかは最初に見た時点で明白だ。
だがこのままだと受験者が二分されてしまうのも事実。片方は遠慮なく餌になるだろう。

(どうするかな…。喧嘩を売ってみれば早いのだろうけど…)

いやいや目立ってどうするよ、とふと思いついた案に自分でツッコミを入れる。
瞬間、また嫌な感覚が背筋を走った。

「…!!」

カッ、とトランプが傷だらけの男に突き刺さる。

「くくく…なるほどなるほど◆」

呆気に取られる受験者をよそに実に楽しそうな…そして聞いてるこちらとしてはぞわぁ、と鳥肌が立つような声音。
ああ振り返りたくもない。げんなりしつつちらりと一瞥すればやはりそこには先程他の受験者の両腕を切り落としてた奇術師がトランプを手にして大層ご機嫌な様子で立っていた。
致命傷を受け、崩れ落ちる傷だらけの男。それを見て、麻袋に入っていた猿の亡骸…いや、亡骸だと皆が錯覚していた人面猿が慌てて逃げていく。
それをヒソカが逃がすはずもない。追撃と言わんばかりに手にしていたトランプを投げる。
今度こそ本当に亡骸と化しどこからともなく飛んできた鳥がその猿の亡骸を啄む様を一瞥し、サトツさんの方に彼は視線を移した。

「これで決定、そっちが本物だ◆」

サトツさんの手にはヒソカが投げたトランプが数枚。
そう。受け止めた方が本物だ。ハンター試験の試験官は審査委員会からの依頼を受けて無償で任務につくものだ。
受験者達全員が目指すプロのハンターがあの程度の攻撃を防げないはずがない。
そうヒソカが説明口調で説明してやれば、サトツさんは軽く息を吐いて、受け止めたトランプを地に捨てた。

「褒め言葉と受け取っておきましょう。しかし、次からはいかなる理由であってもこのような行為は反逆行為とみなし、即失格とします。よろしいですね?」
「はいはい◆」

す…と目を細めて警告するサトツさんをヒソカがあしらう。

「…。この湿原は今のような騙し合いが日夜行われております。騙されないよう注意してください」

それでは行きましょうか、二次試験会場へ、そう言って再び走り出すサトツさんに、一連の出来事に茫然としていた受験者達が慌ててついていく。
湿原というだけあって、走るたびにぐちょぐちょとぬかるんでいる地面が音を立てた。
そして走れば走るほど濃くなる霧。ああこりゃここで何人も脱落するな…。

「…もっと前に行こう」

並走していたキルアが、ゴンと私に聞こえる程度の声でそう提案してきた。

「そうだね、試験官を見失うといけないし」
「そんな事よりヒソカから出来るだけ離れた方がいい。あいつ霧に乗じてかなり殺るぜ」

きょとんとするゴンの傍らで、やっぱりかとため息を吐く。

「やっぱり分かるんだな」
「まあね…さっきから鳥肌立ちっぱなし。あいつの殺気何か気持ち悪くって…粘っこいっていうかねちっこいっていうかお近づきになりたくないっていうか…」

シャルに言われなくとも近づかない事請け合いな感じ。殺気を向けられるなら純粋に向けられたい。
いや向けられたいわけじゃあないけどヒソカの殺気は変態じみてるのが目に見えてるっていうか。
肌寒いわけではないけど、自分の両手で腕をさすっていれば、不思議そうにゴンが首を傾げていた。
私に呆れていたキルアがそれに気づく。

「何で分かるのかって顔してるね。同類だから臭いで分かるのさ」
「同類…?あいつと?そんな風には見えないよ?」
「それは俺が猫かぶってるからね、そのうち分かるさ」
「ふーん…。レオリオー!!クラピカー!!キルアが前に来た方いいってさー!!!」

…あ、キルアがずっこけた。
後ろを走っているであろうクラピカ達に向けて大声を張り上げたゴンに、緊張感ないなーと愚痴る。
まあまあ、と宥めれば後方から“行けるならとっくに行っとるわー!!”という何とも緊張感のないレオリオの声が返ってきた。

「…本当緊張感のない人たちだこと」
「そういえばは何で分かるの?キルアみたいに猫かぶってるの?」

ふと疑問に思ったらしいゴンが私に質問を投げてきた。

「ん?んー…まあ職業柄?」
「だからその職業って何だよ」
「秘密ー」
「えー」

馬鹿野郎。情報屋です☆とか言ってみろ、キルアがもしかしたら思い出してしまうかもしれないというのに。
そのうち分かるよ、と誤魔化せば、2人して納得がいかないような表情でこちらを見てきた。

「そんな顔してもお姉さんは口を割りません」
「うっせえババァ」
「ちょっとババァはないんじゃないかな私まだババァの域には達してないぞ」
「いでででで!!」

キルアのこめかみに拳を当てぐりぐりと力を込めてやれば、本気で痛いらしいキルアが悲鳴を上げる。
パッと離してやれば当然のごとく怒られた。

「うっせ。人をババァ呼ばわりしやがって。そーいう子には鉄拳制裁がお似合いです」
「だからって…っていうかどんな拳してんだよ!何で俺が痛がるんだ!」

ハハハなめるでない、と胸を張れば意味わかんねえ!と返された。
猫のように威嚇するキルアにニヤニヤと笑い返す。やだこの子からかうの楽しい。
…なんてふざけ合っていたのも束の間。

「ってぇーーーーー!!」
「!」

背後から、レオリオらしき人物の悲鳴に近い叫び声が聞こえた。
そしてその声にほぼ反射に近いレベルでゴンが来た道を戻る。

「ゴン!?」

思わず一旦立ち止まってしまう。今の悲鳴は絶命したものとは訳が違う。
となると怪我をしたと判断するのが正しい。そうなると一番確立が高いのは…。

(ヒソカか…)

この湿原の野生の生物ならおそらく一撃で餌を捕食する。
先程から気持ち悪い殺気が消えない今、レオリオを襲ったのはヒソカでほぼ間違いない。
うーん…うーん。どうしよう。

「おい行かねぇの?試験官見失っちまうぜ」
「あー…ねえキルア、私って存外にお節介なのかなぁ」
「は?」
「ごめん、やっぱ先行ってて」

そう言うや否や、私もゴンが戻ったように来た道を戻る。
キルアが背後で声を上げていたが無視。彼なら1人でも余裕で二次試験会場に辿り着くだろうし。
ゴンの姿はもう見えない。血の匂いと、気持ち悪い殺気。あとそれと声のした方角。迷うことはないだろう。

ヒソカと対峙するのは御免こうむりたい。けど、ゴン達が殺される方がもっと御免こうむりたい。単純にそう思ったのだ。




*




「ゴン!?」

釣竿を武器とする少年が、ヒソカの頬をそれについている錘で殴った。
殴った事により攻撃を免れたレオリオが、少年の名を叫ぶ。
息を切らしているという事は全速力で戻ってきたのだろう。レオリオの声を聞きつけて。

「やるねボウヤ◆」

首をコキッと鳴らし、ヒソカが嬉しそうにゴンを見る。

「釣竿かい?面白い武器だ…ちょっと見せてよ◆」

完全にレオリオに対し背を向けるヒソカ。
隙と判断したのか、ゴンの危機と判断したのかは分からないが、レオリオが手にしていた木の棒を振り上げヒソカに迫る。

「テメェの相手はこの俺だ!!」

その刹那レオリオの身体が宙を舞った。

「レオリオ!!!」

ゴンが悲鳴に近い声で名を呼ぶ。
たった一撃…それも拳でレオリオを沈めたヒソカが、再びゴンに視線を移した。
移す直前にゴンが釣竿で再び殴りかかろうとするが、先程のような奇襲攻撃ではない。呆気なくその攻撃は避けられてしまう。
避けられた、とゴンが認識した瞬間、彼の細い首をヒソカの手が掴んだ。

「ぐっ…!」
「仲間を助けに来たのかい?いい子だね◆」

ぴくぴくと痙攣するレオリオを一瞥するヒソカ。手の力を緩める事はない。

「いい表情だ…◆大丈夫、殺しちゃいない。君も、彼も合格だか……」

ヒソカの言葉が途切れた。ゴンがそれに気づいたのは、自身が彼の手から解放されて地面に尻もちをついたと気づいた時だった。
驚き、立ち上がって前を見れば先程まで共に走っていた女性の姿。

「ゴン!大丈夫!?」
?!」

何故ここにいるのか、と声を上げれば、追ってきたと。
それだけ言うとはすっと目を細め、ゴンから飛びのいたヒソカを睨む。
ヒソカの腕には赤い筋が細く走っていた。

「おかしいな。切り落とすつもりで切ったのに」

が、今まで聞いた事のない声音で物騒な言葉を呟いた。
その言葉から判断すれば、ゴンを掴んでいたヒソカの腕に斬りかかった、という事か。
いつ?ヒソカのような気持ち悪い殺気も、足音もこの泥濘だというのにほとんどしなかった。

「くく…避けなかったらそうなっていたかもね◆」

が手にするナイフがきらりと光る。

「いいナイフだ…◆君は何者だい?」
「教えると思ってる?」
「いいや全く◆でも…」

言いかけたヒソカが、消えた。
それにが表情を強張らせる。
ゴンを抱えて逃げるか、一瞬迷ったのだろう。
それが隙となる。
一瞬でもゴンに視線を移す。その瞬間をヒソカは見逃さない。
ナイフを持つ手を捻りあげ、彼女の身体を拘束する。

!」
「君はすごく美味しそうだ…◆」

ねっとりとする声音で耳元で囁かれた。
ぞわり、と今までの比ではないほどの寒気が背筋を走る。

「ッ!!」

その瞬間、電流がヒソカの全身を駆け巡った。
思わず掴んでいた手を離せば、がゴンを掴んで背後へと跳躍する。
電流。掛け値なしに本物の電流だ。静電気などの比ではないレベルのそれ。
今確かに走った。掴んでいたのはの手。

「…何をしたんだい?」
「誰が教えるかこの変態野郎!!」

この女が何かをしたのは間違いない。
だが、囁かれたのがよっぽど気味悪かったのか若干顔が青いが何かしでかしたようには到底見えない。
不可思議な女。その存在にヒソカはさらに機嫌をよくする。
そのヒソカの懐から、不意に電子音が鳴った。
少々不満げに携帯電話を見、をちらりと一瞥し、諦めたように通話をし出す。

「…?」

そして通話を切ったかと思えば、達から背を向け、伸びているレオリオを担ぎ上げた。
そして振り向いたヒソカにが思わず身構える。

「そう身構えないでくれよ、君とはいずれまた今度…◆」
「今度がない事を切に願うんだけど」
「釣れないなぁ◆」

楽しそうにくつくつと笑うヒソカに、はげんなりするように顔をゆがめた。

「自力で戻れるかい?」

質問に答えたのはゴンだった。こくりと頷く彼を見て、満足そうにヒソカが笑う。

「いい子だ。いいハンターになりなよ◆」

そう言うだけ言うと、彼はレオリオを担いだまま、深い霧へと消えて行った。
その瞬間、ゴンが力が抜けたように崩れ落ちる。

「ゴン!?」

当面の危機が去ったと判断したのも束の間。が慌てて彼を支える。
彼女の存在すら希薄に感じるほど茫然としているゴンに、は無理もないかとこっそり嘆息した。

「ゴン!!」

ふと背後からヒソカではない別の声。が振り返ればそこには驚いたような表情のクラピカがこちらに走ってきていた。

「無事か!?」
「肉体的な意味ではイエス。精神的な疲弊の意味ではノーと言っとくよ…」

やつれた様な表情で呟くに、その様子じゃ大丈夫そうだと胸をなでおろすクラピカ。

「ゴン…ゴン!!」
「えっ、あっ、ごめん何?」

再度が大声でゴンの名を呼んでやれば、彼はやっと我に返った。
それにやっとが表情を緩める。ゴンが一次試験から見てきた表情だ。

「大丈夫か?ゴン」
「あ、クラピカ…うん、ごめん大丈夫」

急ごう。二次試験に間に合わなくなる、と我に返ったゴンが、2人に確認を取って走り出す。

「宛てはあるのか?」
「いや…私は何とも」
「レオリオのオーデコロンは独特だから、数キロ先にいても分かるよ」

クラピカとの間に沈黙が流れる。
生憎どちらもそのような特技を身に着けた覚えはない。
野生児すげぇとが感心八割その他複雑な感情色々二割でゴンを眺めていれば、ふと声のトーンを落として、ゴンが2人に話しかけてきた。

「ねえ、ヒソカが言ってた合格って一体どういう意味だと思う?」

走る傍らには生物の死骸がたくさん転がっている。おそらくヒソカを襲って返り討ちに遭ったのだろう。
それらを眺めながら、クラピカがゴンの問いに答える。

「奴は試験官ごっこと言っていた…つまりヒソカは我々を審査していたのだろう」
「審査…ねぇ…」
「奴なりの経験則や勘で、“今殺すには惜しい人材だ”…そう判断したのではないか?」

だから不合格を殺していった。納得出来てしまうのがヒソカらしい。

「…っとすまない、無神経な発言だった」
「ううん」

少しずつ分かってきた、とゴンが続ける。
強烈なプレッシャー。逃げたくても逃げれない…あの時、も俺も、殺されるかもしれない…そう思う反面、わくわくしたんだ。
そう戸惑い気味に語るゴンに、逆にが戦慄を覚えた。

(この子…!)

あの状況下で、わくわくしたと。この齢で。

「…??」
「え、ああいや何でもない。いそごっか」

取り繕うように笑う彼女に、ゴンとクラピカは何も疑問を抱かずその言葉に同意する。
二次試験会場までは、あと少しだ。




03.感じ取った鬼才の片鱗






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結局目を付けられる
20111213