「ねえ?」
「はい、何でしょう奥様」

うららかな昼下がり。紅茶を優雅に飲むフェリス様が、唐突に話しかけてきた。
その声に剣の手入れの手を止め、顔を上げる。

「貴方がうちに来てからもう1年経つわよね?」
「そう…ですね。そっか、もうそんな経ったんだ…」

家庭教師としての生活も、この帝都での一般市民としての生活も様になってきた、気がする。
月日が経つのが本当に早い。そうしみじみとすれば、何故か奥様がにっこりと笑った。
あ、これまずい。この笑顔は碌な事にならない。…そう私の勘が告げてくる。伊達に1年傍にいたわけではない。

「帝都での生活も慣れたわよね?」
「え、あの…フェリス様?」
「だからね、そんな貴方にちょっと新しい仕事を頼みたいの」
「いえ、あの…奥様?」
「ダングレストって知ってるわよね?」
「…………はい」

無視を決め込む奥様に、がっくりとうなだれた。
そんな私を見てニコニコと話を進める。

「この手紙をある人に渡してほしいのよ」
「ある人…ですか」
「ええ。ダングレストに行けば分かると思うわ」

貴方をその人のもとに案内するようにとある人物に頼んでおいたからーと。
そこまで聞いて一言。

「…あの、奥様。それそのとある人物に手紙渡せば済む話だったんじゃ…」
「駄目よそれじゃ意味ないもの。ほら、行ってきなさいな」



そんなやりとりがあったのが、先日の事。
…で、現在私がいるのはギルドの巣窟と言われるダングレスト。

「いやはや…あのグランヴィルがこんな若い子をねー…俺様驚いたわー」

奥様曰くのとある人物を目の前にして、私は早くも帰りたくなっていた。




*




「嬢ちゃん名前は?」
「…、です」
ちゃんねー。俺様の事はまあレイヴンって呼んでちょーだいな」

何だこの胡散臭いおっさん…。
…なんて思った事は億尾にも出さず“レイヴンさんですかよろしくお願いします”と当たり障りない言葉を返す。
ギルドの巣窟ダングレスト。先日奥様にそこに行って来いと言われ地図と格闘しながら来たわけだが。
どうやらここは魔導器かそもそもの土地の特性なのかは分からないが、常に夕暮れ時らしい。建物、人物、すべてが暗い影を落としていた。
ひどいイメージと言われればそれまでだが、ギルドの巣窟らしい町並みだ。
いや、あまりギルドには詳しくないのだけど、イメージとしては薄暗い酒場でこう…札束をこっそりやりとりして、騎士団が抜き打ちでガサ入れをしだしたら“やべぇ!サツだ!”とか言って銃撃戦に……いやこれヤクザやマフィアだ。どんなイメージだよ。
私の馬鹿な妄想はさておき、だ。奥様この街に何の用事があるんだろう、と再度疑問に思い手にしている封筒を眺める。
ご丁寧にグランヴィルの刻印入りだ。重要な書類でも入ってるのだろうか?何の為に?
騎士団とも繋がりのあるグランヴィルがギルドに用事なんてあるのだろうか?両者の仲は冷え切っていると聞くけど。

「あの…レイヴンさん?」
「んー?」
「私の事、何て聞いてます?」
「お、ちゃん、この俺様に興味あったりする!?」
「……、…いえ、私フェリス様からほとんど何も言われずにこちらに来たので…」

疑問を解決しようとして早速後悔した。この胡散臭いおっさん、見た目通り軽薄な人間らしい。
半眼でざっくりと否定してやれば、残念そうにため息を吐かれた。吐きたいのはこっちだという言葉は飲み込んでおこう。

「釣れないわねぇ…。んー…何も教わっていないんならその手紙渡すまで何も知るなって事なんじゃないかしら」
「やっぱりそうですかね…これはどちらに?」

こっちよこっち、という言葉におとなしくついていく。
大通りらしい道を堂々と歩いていくレイヴンさんにすれ違う人々が軽く挨拶していく。何だこの人有名人なのか?
すっごい胡散臭いのに…とその後ろ姿を眺めていれば、不意に彼がこちらを振り返った。

「はい、ここよ」
「?ここ…は?」

大きい建物だ。街の入り口からここまで歩いてきたけど、他の建造物とは微妙に違う雰囲気を出している。
何というか…住居じゃあない、そんな感じ。
入り口に人が1人立っていた。門番なんだろうか?レイヴンさんが“ちょっと待ってて”と私を置いてその人間に話しかけに行く。
数分も経たないうちにレイヴンさんが帰還。

「お待たせ。話は付けてきたから、さ、行きましょ」
「あ、はい」

その門番に軽く頭を下げ、先を進むレイヴンさんについていく。

「ここは何の建物なんですか?」
「ん?ギルドユニオン本部よ」
「…ギルド、ユニオン?」
「あれ、もしかしてちゃんてばユニオンも知らない?」
「はい」

素直に頷けば少々驚いたようにこちらを見てきた。
“本当に何も聞かされてないのね”とポリポリ頭を掻くレイヴンさんに首を傾げる。

「まあ君の器量次第だと思うから…何とかなるといいわねー」
「え、いったい何の話…」
「ほい着いたっと」

不安を煽る言葉に詰め寄ろうとした瞬間、歩いていたレイヴンさんの足が止まった。
彼が止まったのは、他のそれとは違う大きな、そして豪華な扉の前。
その扉に数度ノックをして、“入れ”という言葉が返ってきたのを確認してから彼はその扉の中に足を踏み入れた。
当然私も慌ててそれについていく。

「じいさんー連れてきたわよっと」
「おおレイヴン、ご苦労だったな」

目が合った瞬間、緊張が体を走った。

その部屋の真ん中にある椅子に座る老人。
いや、年齢が老人なだけだ。その表情は生き生きとして、体躯は筋骨隆々、老人と表現するのが間違いなレベルだろう。

(…この人、凄い強い)

伊達に何年も戦いの中に身を投じてない。思わず条件反射に近い形でジャケットの内部に仕込ませているナイフに手を伸ばす。

「なるほどな、それが今度の頭か」

“おい娘っこ、んな睨むんじゃねぇよ”と高らかに笑われ、そこでやっと臨戦態勢に入ろうとしていた事に気が付いた。

「え、あっ…す、すみません!」

ナイフに伸ばしていた手を慌てて引込め頭を下げる。そうすれば、その様が面白かったのか何なのかは分からないがさらに老人は笑い声を大きくした。

「気にするこたぁねぇよ、むしろ威勢があっていい方だ。なあレイヴン?」
「えー…そこで俺に振る?まあ度胸はかなりあるみたいねぇ」

“で、手紙はどうした?”という老人の言葉にハッと我に返り、慌てて刻印が入ったそれをレイヴンさんに渡す。
そしてそれを彼が老人に手渡し、老人がしばしそれを眺める。

「やっぱりな…」

手紙を読み終わったらしい老人がもうそれに用はないと言った感じでレイヴンさんに手紙を押し付けた。

「改めて挨拶と行こうか。俺ぁドン・ホワイトホース。ギルド『天を射る矢』の首領をやっている」
「え、あ…初めまして。グランヴィルで剣術指南役を務めさせていただいてます、と申します」

相手の自己紹介に、こちらも慌てて返す。

「あの女狐が新しいのを送るって言うからよ、楽しみにしてたんだが…なるほど、確かに適任そうだ」
「め、女狐……って、え?新しい…の?」

さらっと奥様の事を女狐と称したドンに思わず顔が引きつった。が、それよりもその後に続いた言葉が気になった。
というか部屋に入った時も言ってたな、確か頭がどーのこーのって。

「じいさん、この子何にも聞かされてないみたいなんだわ」

レイヴンさんが頭にハテナマークを浮かべる私をフォローする。
すれば、ドンは知っている、手紙に書いてあった、と返答。

「まあ大まかな説明はそこのレイヴンから聞いてくれ」
「げっ…」

ご指名にレイヴンさんがあからさまに顔をしかめた。
ちらっとこちらを一瞥し、そして軽くため息を吐き、かったるそうな声で了承の返事を出す。
それに満足そうに頷いたドンが、今度は私に視線を向けてニヤリと笑った。

「そういうわけだ。今からこのレイヴンがお前さんの家まで案内するからついてってやれ」
「!?えっ、家!?」

家って何だ、と慌てて問い返す。

「まあ先代が使ってたものだけどな。せいぜい大事に使ってやってくれや、『界の伝承者』の首領としてな」

『界の伝承者』の首領。その言葉にさらに首を傾げる。

その言葉の意味を知ったのは、本部を後にしてレイヴンさんに家へと案内されている最中。
そしてその言葉の重みを知ったのは、ギルドやら何やらの大まかな説明を受けた後。

裏取引から猫探しまで…何でもやる万屋ギルド『界の伝承者』。
グランヴィルが管理をしているのは秘密。知っているのはドンやらユニオンの重鎮達のみ。
先代が忽然と姿を消したので、私にお鉢が回ってきた、そういうことらしい。
ギルドがどういうものかの説明を受けた時、隠さなくてもよかったのに、そう思った。
仕事をするのは嫌ではない。言われたら喜んでやるのに…。なんて考えていた。
…が、その後レイヴンさんの口から飛び出した言葉に、私は喜んでやるのに、とか考えた過去の私を殴り飛ばしたくなった。


どこのギルドに、構成員1人、なんて馬鹿げた過労死推奨ギルドがあるというのだろうか。




00.私の勘は正しかった




Next...

この後ドンに腕試しという名でフルボッコにされる
20111206