「ほら、もう泣かないの」

ぽかぽかとした暖かい日差しの中、私は帝都の下町にやってきていた。
帝都に来てから数か月。市民街と貴族街は探索したことはあるけど、下町の方は行った事がなかったからだ。
どんな感じなんですか?と何気なしに奥様に尋ねたところ、ちょうどいいから見てきたらどうだ、と言われたわけで。
治安があまりよろしくない上、結界魔導器の範囲内にない区域もあるらしい。
気を付けていってらっしゃい、とにこやかに手を振られた手前、行かないわけにもいかず。
ちょーっと興味があっただけなんだけどなー…と思いもしたが見てみたいのもまた事実。大人しく私は下町へと向かった。
で、その向かう途中、目の前で少年がそりゃもう盛大にスライディング…もとい転んだわけで。
魔導をこれっぽっちも使えない私は目の前で膝から血を流しギャン泣きする少年の怪我など治せるはずもなく。
水で濡らしたハンカチを患部に巻くという処置にもなってすらいない応急処置を施し、家はどこだと訊ねた結果、私はこの下町の酒場の前にいるのだ。

「いい男ってやつが台無しだぞー、モテないぞー」
「ううぅ…」
「全くもう……ごめんくださーい」

少年が言うにここが彼の家だそうで。
準備中、という看板がぶら下がっていたが無視を決め込み、挨拶と共にドアを開け酒場に乗り込む。
そこには表の看板の通り2人の男女が清掃やら準備やらに追われていた。つまりこの人たちがこの子の両親か。
私に気付いたらしい2人が驚いたようにこちらを見るが、背負われている自分達の息子を見てその驚きの色をさらに濃くする。

「ルート!?」

ルートという名らしいこの少年。慌ててこちらにやってきた母親に事の顛末を伝え、適当な椅子に少年を降ろした。

「ごめんなさい。治癒術が使えたらその場で治療したんですけど…」
「ああもうそんな!気にしないでください!あんた救急箱持ってきて!」

父親が持ってきた救急箱から必要なものを取り出し、てきぱきと少年の膝を治療していく。
べそをかく程度には落ち着いてきたらしい少年。それを見てふう、と私は安堵のため息をついた。

「よかった。泣きやまなくってどうしようかと…」
「全くこの子ってば…本当ごめんなさいね、この子極度の泣き虫で…」

人様に迷惑かけるんじゃないよ全く、と軽くだがペチンと息子の頭をひっぱたく。

「ごめんなさい…」
「気にしなくていいよ。今度からは転ぶんじゃないぞー」

しおらしく謝ってくる少年の頭をぽんぽんと撫でるように叩き、両親にじゃあ私はこれで、と挨拶。
…したら帰るのを妨げられた。何だ何だと思えば、息子を運んでくれたお礼がしたいと。
いやいやそんな大したことしてませんて、と帰ろうとすればいやいやそういうわけにはいかない、と始まる押し問答。
遠慮しないで!と言われてもそんな遠慮とかしてないよ!お礼って何かあんまされたことないから苦手なんだって!…と叫ぶわけにもいかず。

ぐー……。

そんな押し問答を終了させたのは、情けないかな私のお腹だった。
時刻は昼過ぎ。…そういや昼ご飯食べてない。
ああ、にんまりと笑うお二方。に対して私は耳まで赤くなる。

「昼ご飯、食べるかい?」
「はい…」




*




「うぷ…」

気持ち悪い。いや、食べ過ぎたからなんだけど。
出された料理は質素ながらにどれもこれも美味しくて、素直に美味しいです!なんて感想を述べたのが最後。
次々と出されてくる料理に私は久々に戦慄を覚えた。
残すとかそんな失礼な事が出来るわけもなく。結局私は完食するという結果に。で、現在は広場らしい場所でベンチに腰掛け休憩中。

苦しさが変わるわけではないが、ふう、と息を吐き空を仰ぐ。
仰いだ空には光の帯。リングのようなもの、とこちらの世界に来た当初は思ったが、結界魔導器と言って外に蔓延る魔物を退ける役割をしている大層なものだという事を後に学んだ。

「…長閑だなー」

外に魔物がいる、という事を知った時、まずそれなんてゲーム?と思ってしまった。でも私があの家に仕えてる以上外に出る機会なんて滅多に来ないだろうし。
もしかしたら一度も来ないのかもしれない。
本当に異世界なんだな、と新しい事を知るたびに思い知る。
何だろう、いわゆるホームシックなんだろうか?いや、家族はいないも同然だったし、生活様式の変貌っぷりについていけてないだけの気もしないでもないけど。
このままでいいんだろうか、と度々思うようになってきた。私はこの世界に対して無知すぎる。
外を見なくていいのか、この結界の中で何も知らずに生きていっていいのだろうか。
うーんアンニュイとか私らしくない、と空を見上げたまま嘆息。

「あれ、」

ふと近くで声がして仰ぐのを止めれば、目の前に先日助けてくれた騎士様が私服の姿で立っていた。
えーっと…確か名前は…。

「…フレンさん?」
「よかった、覚えててくれたんですね」

笑顔でこちらに歩み寄ってくる青年に、私も名前を間違えなくてよかったと内心で一息。
今日はお休みですか?と問えば肯定の言葉が返ってきたので、1人で占領していたベンチの半分を彼に明け渡す形で座るよう促す。

「先日はありがとうございました。名乗れもせずに…改めまして、私と言います。」
「そんな!気にしないでください、騎士として当然のことをしたまでです」

座ったまま頭を下げれば、慌てたように首を横に振られた。

「でも…」
「本当に大丈夫ですから。…?そういえば今日はどうしてこちらに?」

話題を変えられた気もするが、おとなしく身を引き、ここにいる顛末を説明する。
少年を助けた事や、お礼にたくさん料理を振る舞われた事。

「…で、食べ過ぎたので休憩を…」
「そうだったんですか」
「…、いいとこなんですね。もうちょっと早く来ればよかった」

素直な感想を述べれば、不思議そうに首を傾げられた。

「?今まで下町の方に来た事は…」
「私、数か月前に…あーその、越してきたんですよ帝都に」

だから今日が初めてで。
もうちょっとおどろおどろしいイメージがありました、と言えば、そういうところもありますよ、と返された。
あるのか…じゃあここは治安が割といいところなんだろうか。
数か月前に越してきて、下町を見たことなかった事より、騎士様は何故越してきたのかということに興味を持ったらしかった。
何しに帝都へ?と聞かれたので、正直に家庭教師になりに、と答える。

「家庭教師、ですか?」
「ええ。ほら、先日米袋うばっ…いや言葉が悪いか、シーフォさんから荷物受け取った子。あの子の」
「ああ、あの……え、失礼かもしれませんが、さん、年は…」
「今年で16です」

幸いにもこちらの世界も1年は365日で、月日がずれているとかいう面倒くさい事もなかった。
だから16だ、という旨を伝えれば、騎士様はそれなりに驚いたような顔をした。

「え、年下だったんですか」
「え」

いや、まあこちらは彼が年上だろうと判断はしていたが、相手はどうやらそうではなかったらしい。

「年上に見えました?」
「え、ええまあ…」

珍しい。結構見た目は年相応か幼く見られる事が多いのに。
だからやけに丁寧に接してきてたのか、と私は勝手に納得する。
敬語とか気を遣わなくて結構ですよ、年下なんですし。そう言えば騎士様はいや、でも…と渋ってきた。

「私の我儘なだけなんですが、年上の方に敬語で接されるのが少々苦手で」
「しかし…」
「お願いします」

ちょっと嘘だ。いや、普段から誰にでも敬語の人に敬語で接されるのは気にならない。
だがこの人の場合明らかに丁重に扱ってきているのが明白で。
貴族街の人間とでも思われてるんだろうなぁとかそんな事を考える。

「ほら、私貴族街には家庭教師として通ってるだけですし、ただの一般市民ですから、ね?」
「……じゃあ、…?」
「はい。です」

呼び捨てで呼んでくれた事に対してにっこり笑えば、どこか照れくさそうに笑い返してきた。

「でも本当に貴族街の人間じゃあないのかい?」
「ええ。単に私は拾われた身で。現在住むところを探して……」

居候中なんです。と続けようとしたが、視界に入ったもののせいで言葉が途切れる。
騎士様…いや、せっかく親しく名を呼んでくれたんだ。私もフレンさんとお呼びした方いいだろう。
フレンさんも私に釣られてそちらに目をやった。

「!あれは…」

端的に言うと不良が老人に絡まれている。しかしここは現代の日本のように銃刀法なんてものはない帝都ザーフィアス。
不良が持っている刃物が陽の光を受けキラリと光った。
それを見てフレンさんが表情を厳しくして立ち上がった。が、私がそれを片手で制す。

「!?何を…」
「落ち着いてください。出来るならあんまり大声を出さないで。あっちがこちらに気付いてしまう」
「だが…!」
「だがも何もありません。今貴方は丸腰で、あっちは全員刃物を持ってるんです。おまけに貴方は騎士団です、彼らに日頃の鬱憤を晴らさせたいんですか?」

そう言って私は彼を無理やり座らせた。今私が至極冷静な反応をしているのが理解できないという表情。
彼が座るのと入れ替わりに私が立ち上がる。

「だからフレンさん、貴方は騎士団を呼んできてください。私が代わりにあの人たちの相手しますから」
「!?何を無茶な…!」
「無茶じゃありませんから、とっとと行ってきてください。早くしないと私が代わりになる前にあの老人が有り金取られます」
「…、駄目だ。君ひとり行かせるわけにはいかない」
「フレンさん…」

ちなみに今の言葉はかっこいいセリフにときめいたとかでは断じてない。ため息を吐いたからだ。

「…分かりました。じゃあ老人の方の保護、お願いします」
!僕は…」
「あのですね、私を誰だと思ってるんですか」

そう言うと、私はにやりと笑ってみせる。


「グランヴィル家の家庭教師ですよ?」




*




グランヴィル。この帝都で一、二を争う大貴族だ。
彼女の言葉に、思わず固まる。
我に返り、どういう事だ、と真意を問おうとしたが、それよりも早くは不良達に話しかけていた。

「こんにちわー。いやーいい天気ですねぇ」
「あ?何だ嬢ちゃん」

突然話しかけてきた少女に不良達の注目が集まる。
老人を助けろと彼女は言ったが、やはり彼女を見捨てる事など出来るはずもない。
丸腰の自分を叱咤しつつ、何か手頃な、武器に代わるようなものはないかと辺りを見回す。

「俺達に何か用か?それともナンパでもしてんのか?」
「やだなー。そんなわけないじゃないですかー。広場なんて人の往来でカツアゲなんてしてるから、どんな馬鹿の集まりなんだろうって思いまして」

…が、代わりになるものを見つける前に、少女の口から勢いよく喧嘩が売られた。
下卑た目線を送っていた不良達の顔が凍りつく。ちなみに僕も凍りついた。
凍りついたままの彼らに、彼女は笑顔のまま言葉を続ける。

「馬鹿ですねー本当。楽しいですか?今を生きる若者が寄って集って一人の老人に金をせびって」
「あ…?あ、あああ!?」

1人が我に返ったらしい。その怒りの声に全員が我に返る。

「テメェ喧嘩売ってんのか!?」
「あれ、今までの言葉で売ってないとでも思ったんですか?」
「ッ!!!!テメェ!」

彼らの意識が老人から完全にへと移る。
不良の手を離れた老人に対して逃げろと合図を送れば、助かったように頭を下げ、慌ててその場を去っていった。
それをも確認したらしい。頭に血の昇った不良達だけが気づかない。
このままだと一波乱あるのはまず間違いない。やはり丸腰でも助けるべきか、そう思い足元に転がっていた石を掴む。

「痛い目に遭いたいようだなぁ嬢ちゃん…」
「いいえ全然?」

不良達が一斉に剣を抜いた。それに僕が血相を変える。
まずい。彼女曰く丸腰ではないような口ぶりだったが、その彼女は今手に何の武器も持ってはいない。
やはり最初から僕が行けばよかった、そう後悔すると共に走り出す。

その時、僕は確かに彼女がベストの隙間から、ナイフを取り出すのを見た。

そこからは、夢でも見ているようだった。

「……あ?」

不良の一人が、間抜けな声を上げる。

次の瞬間。

「「「!!!!」」」

カランッ、と折れた剣の刃先が、それぞれの不良達の足元に転がった。
そして、彼らの“背後”に少女の姿。

「駄目ですよー、ちゃーんと剣の手入れをしないと」
「!?!」
「お、お前いつの間に…!!!」

傍から見ていた僕でも状況が分からないんだ、彼らに把握できるはずがない。
端的に言えば、そう、消えたのだ。彼女が。そして気づいた時には不良達の背後に立ち、彼らの剣が折れていた。

(折れた…?違う、あれは…)

推測を確信に変えるようにが背から取り出したナイフを不良達に向ける。

「頭は冷えました?ならここら辺には二度と近寄らないでくださいね。…そうじゃないと私今度は“剣と間違って切っちゃうかも”」

そう言った少女は年相応な、場の雰囲気には到底似つかわしくないような笑顔を浮かべた。




*




!!」

尻尾を巻いて逃げていく不良達を眺めながら背に隠してあるケースにナイフを仕舞うと、フレンさんがこちらにやってきた。

「ああ、フレンさん。ごめんなさい、未遂だったしあいつら逃がしちゃいました」
「いや、それもそうだけど、それより君は一体…」

未だに目の前で起こったことが信じられない、そんな顔をしている。
あー…、と私はポリポリと頬を掻き、どう説明しようかと言葉を探る。

「えーっと、なんて言えばいいのかな…ザーフィアスに来る前は傭兵みたいな事をしてたというか…」
「傭兵…」
「…で、その時貰った力で今みたいな感じに素早く動けるというか…」
「力…魔導器かい?」
「ぶ…?え、ええそうです魔導器!魔導器のおかげでああいう感じに早く動けるんですよ私!」

ごめんなさい嘘ですごめんなさい。
だけど、この能力を説明するとなるとめんどくさいし、私が異世界から来た事も説明しなくてはならない。
だから、何気なしに言ったであろうフレンさんの言葉に全力で乗っかる事にした。
騙されてくれるだろうか…と恐る恐る彼を見れば、なるほど…とどこか感激したように考え込んでいて。
ああうんこれなら大丈夫だろうと安堵のため息をばれないように吐く。

「…ねえ
「え、あ、はいっ!」

安堵したのも束の間、まさかばれた!?
話しかけられた事で緊張が走る、がフレンさんの口から出てきたものは全然私が危惧しているようなものではなかった。

「もし、もしでいいんだ。君が暇で、僕も休みだった場合だけでいいんだ。…その、稽古をつけてくれないか?」
「……は?え、誰に?」
「僕に」
「……フレンさんに?」

言葉の意味を理解するのに十秒くらいかかった。

「え、ええええええええ無理です無理です無理無理無理!!」

全力で首を横に振る。無理無理!絶対無理!坊ちゃまみたいに基本からーとか言う人ならまだいいだろうけど、
晴れて騎士団に入団しましたレベルとか教える事ないだろ!逆に基礎がごっちゃになって変な癖とか付くオチが見え見えだ!
…という事を何枚ものオブラートに包んで伝える。嫌なのもあるけど、事実だ。未来ある若者の才を摘むとかそんなの御免こうむる。
諦めてくれー…!と念じながら伝えれば、フレンさんはがっかりしたようなしょんぼりしたような表情に変わり、ちょっと良心が抉られる。

「ならせめて手合せを…!」

前言撤回だ馬鹿やろー!!!抉られた良心カムバック!
それも無理です無理無理。私こう見えて忙しいんですってば!第一フレンさんだってそう易々と休暇なんてとれないだろう!とやっぱりオブラートに包んで伝える。
しかし今度は引き下がらない。そこを何とかって無理だし嫌じゃー!と私も引き下がらない。
そんな押し問答が続く。傍から見たら痴話喧嘩でもしてるように見えるのだろうか。いやこの際んなこたぁどうだっていい。

「無理です」
「そこを何とか。強くなりたいんだ」
「駄目なものは駄目です。騎士団で強くなってください」
「頼む」
「無理」
「…」
「…」

2人の間に沈黙が訪れる。
その時、下町の住人だろうか、恰幅のいい女性がフレンさんにどうしたんだと話しかけてきた。

「…チャンス!!」
「え、あっ!」

それを千載一遇のチャンスだと認識し、フレンさんに背を向け猛ダッシュ。
背後で彼が名を呼ぶ声がしてるけど無視を決め込み逃げる。
ははは!逃げさえすればこっちのものだ!貴族街に逃げ込めばいくらなんでも追ってこれないだろ!
そう安堵するも。


…その日以来、出くわす度に彼に手合せを要求されるようになったのはまた別の話




01.一筋縄ではいかないようで






Next...

主人公の能力云々は今後詳細を語っていけたら
20111004