晴れ渡る青い空。雲一つないそれは、透き通るような青と表現するに相応しい。
しかし、その空には雲の代わりに無数の飛行船が浮かび、この街の建造物とのミスマッチ感を助長させていた。
飛行船が向かうのは恐らくはこの街の中心地である巨大な建造物。見上げる飛行船のどれもが向かうそこは恐らく停泊場か何かなのだろう。
私が今立っているこの場の辺りの建造物とは一味も二味も…というか何か文明すら違いそうな感じのそれ。
ハイテク感漂う停泊場(仮)とは違い、辺りは何か数百年前の日本にタイムスリップした感じだ。
通りを行き交う人々は和服に身を包み、立ち並ぶ家屋は木造であることが素人目からでも分かり、時代劇とかに出てきそうな外観のものばかり。
強いて言うなら行き交う人々の中に何か明らかに人間じゃあない人種がいるのが不自然っちゃあ不自然だ。
いや、いつもなら何だあいつら、とか何だあの飛行船、飛行機はどこだ、とか色々度肝を抜かれてるところだけど、だけれど。
「……ここは、どこだ」
和服を身に纏った人間が行き交う大通り。その中で、たった一人ワイシャツやブーツなんて洋服を身に纏って茫然と立ち尽くす私は、思わずそうぽつりと呟いた。
明らかにぽかぽかと暖かい気温のはずなのに、だらっだらと冷や汗が止まらないこの現状。
見慣れぬ街並み。見慣れぬ人種…っていうかこれ人間?何か猫っぽいやつとかいるんだけど人間?ちがくね?
まあとにかく、今私が立ちつくしている場所を私は全くこれっぽっちも知りもしないわけで。
おかしい。昨日確かに私は東京で一仕事終えて宛がわれていたホテルの一室のベッドに倒れ込んだはずだ。ビルが立ち並ぶ所謂夜景がきれいな一室のだ。
起きたら木造建造物同士の間の路地裏に、しかも水色のポリバケツにもたれかかるように寝ていたとか、どんなドッキリだとしばらく呆然していた私はきっと悪くない。っていうか仕方ない。
は?え?夢?と頬を抓ってみるも普通に当たり前のように痛かった。いやそもそも夢の中では痛みを感じないとか誰が言い出したんだろう。痛いと感じる夢があるかもしれないのに。
まあいいや夢か夢じゃないかなんて判別は埒が明かない。とりあえずこの路地裏から抜け出そう……なんて考えて、先ほどこの大通りに飛び出してみたわけで。
「……」
ちらちらと私の恰好が珍しいのか、行き交う人が時折こちらを振り返る。もしかしたら金髪なのが目立ってるのかも。何でか皆黒髪だし茶髪の人すらいないのに、そのくせ人間ですらなさそうなのはまあ置いといて、だ。
目立ってるが今そんな事はどうだっていい。とりあえず、とりあえず現状把握しなければ。
まず昨日の記憶は確かにある。しかもはっきりとしている。さっきも言ったように仕事帰りで上司から宛がわれたホテルに直帰して、そのままベッドに飛び込んだ。
数日に渡る激務でほとんど寝ていなかったからそりゃもうすぐに眠りについたような気がする。けど、いくらなんでも誰かに例えば誘拐みたいな形で連れ去られて、まるでタイムスリップしました、なんていう推測辺境の地の路地裏に捨てられるとか、どんなに爆睡してても起きるだろ。というか仕事柄、連れ去られる時点で起きる自信がある。寝こみを襲われるなんてイベント、まあ珍しいって言っちゃあ珍しいけど過去に何度かやられてるし。何にってそりゃあ仕事柄敵対した組織に雇われた暗殺者とかに。
まあともかくだ。誰かに連れ去られてきた可能性は限りなく低い。ホテルの一室に私に気付かれないように忍び込んで、薬物系がきかない私に…まあこれは別段深くもない理由からなのだけれど今回は割愛するとして…何故か効いてしまう睡眠薬的な何かを注入し、ぐっすりとねこける私をこの路地裏に運び込んだ…なんて可能性も、きっと恐らく、もしかしたらあるかもしれないし。一厘くらいの確率で。勿論私は九割九分九厘の確率の方を信じる。
つまり誰それに連れ去られてここにいる、とは考えられないわけで。
じゃあ何でこんな路地裏に?と首を傾げる。落ち着け。落ち着いて考えよう。どんな可能性でも拾っていくんだ。
夢遊病とかどうだろう。…いや生まれてこの方19年、一度たりとも発症したことはないけど。もしかしたらいきなり発症したとか、突然変異とかあるかもしれないし!…変異してどうする。これもないな。
じゃあ映画みたいにタイムスリップして過去に来ちゃったとか?過去にこんな飛行船やら人外種やらが蔓延ってたなんて聞いたことがないけど。
誘拐、夢遊病、タイムスリップの可能性が低いとなると他に何がある?とさらに頭を捻って、はた、と思いついた。
「……異世界?」
その言葉は誰に拾われるでもなく空気に溶け込む。
異世界…文字通りの意味である。自分がいる世界とは異なる世界。世間一般の人間が言語として認識している異世界、より私はちょっと詳しく知っている人間の一人だったりする。
私は…いや、厳密に言えば私の一族は、異世界というものは無量大数存在し、自身がいる世界も、その多数の異世界も全てひっくるめて一つの世界と認識していた。
つまり根源は皆一緒で、色々な分岐点で枝分かれしていった結果が、今の大量な世界というわけだ。
で、この異世界に干渉が出来るなんていう特殊能力?と言っていいのだろうか、まあここは便宜上特殊能力としておこう。その能力を持つ代表的な一族が、私の一族だ。
魔法に近い能力、と言っても差し支えない。私達はこれを“召喚術”と呼んでいる。
一族の者が持つ魔力を糧に異世界の獣なり何なりを呼び出し使役する術。中には機械とか呼び出してた人もいたけど。高等召喚士にもなると神獣とか呼び出せるようになる。ちなみに無機物だろうが有機物だろうが、呼び出したものを総称して召喚獣と呼んでいる。何でだろうね。機械を獣というのはどうかと思うけど、まあ慣れって恐ろしい。
私も勿論複数の召喚獣と契約を結んでいるわけなのだけど…今重要なのはその力ではない。その召喚方法である。
有体に言ってしまえば、異世界の召喚獣を無理矢理現世に引っ張ってくるのだ。あ、一応拒否権はきちんとあちらにあるから。一応そこまで鬼畜な手法じゃないと弁明させてほしい。それなりの対価も勿論召喚獣に支払っているし。まあ他の一族が対価を支払っているかどうかは分からないけど。外道な分家とかも存在すると聞いてはいたし。
ここでぶわっと冷や汗が再び吹きでる。
そう、無理矢理引っ張ってくるのだ。“異世界”から“自分の世界”に。
例えば、例えばの話だ。この世界に、もし、私の一族のような召喚士がいたとして、もし“私”という異世界の存在を自分の世界に引っ張ってきた結果が、この現状なのだとしたら?
(い、いや…いやいやいや!ないないない!いくら何でもそんな偶然あるわけない!)
しかし冷や汗は止まらない。召喚術がどのようなものなのか、私はよく知っている。その私が、この可能性を否定する要素に、偶然にしちゃ出来すぎてる、なんて否定要素にもなりやしないことくらいしか挙げられないのだ。
何とかして否定要素を見つけようと混乱する頭の中で現状を整理しようとする。出来たら苦労はしないっちゅーに。
ぐるぐると思考回路だけではなくもう今なら目ですら回ってる気がする。自身が今大通りのど真ん中にいる事なんてもはや頭の片隅にも置かれていなかった。
だから、いきなりドンッと肩に何かがぶつかった事に、思わず反応が遅れてしまう。
「え、あ」
「おい気を付けろ」
犬が二足歩行してる。
さっき猫が二足歩行してるのを見た時はスルーしたというのに、思わずその事実に固まってしまった。
苦々しげにこちらを見下ろす犬…らしき人、間?いや、人間か?なんて言うの?亜人?
謝る事もせずに茫然とその犬人間を見上げていれば、どうやらそれがまずかったらしい。犬人間が苛立たしげに私の腕を徐に掴みあげる。
「おい貴様!地球人のくせに何だその態度は!!」
「へ?は?地球人??」
地球人?は?え?何?私地球人なの?いや確かに地球に住んでるけど。え?じゃあこの犬人間達は宇宙人?え?え…宇宙人??
「何とか言ったらどうなんだ!!」
元から混乱していた私の頭に無理矢理よく分からないワードが積み込まれていく。
というかこの犬短気すぎだろ。ぶつかっただけで何でこんなヤクザみたいに絡まれなきゃいけないんだ。
こっちの身にもなってみろ。ここがどこだか未だに分かんないんだぞ、少しくらいは優しくしてくれてもいいんじゃないの?
…なんて、相手にしてみれば理不尽な事を思うも、勿論口には出さない。しかし、不満そうな表情は顔に出てしまっていたらしい。
「こ、の…!!」
犬人間からチッという盛大な舌打ちが聞こえた、と頭が認識した瞬間、その犬がもう片方の腕を振り上げてるのが目に入った。
あ、殴られる。とどこか他人事のように思えば。
ゴッ!!!
と、目の前の今にも私を殴りかからんとしていた犬の顔面に、握りこぶしが入った。
は…?!と思わず口を半開きにして固まる。
私の握りこぶしでは勿論ない。その拳が男のものだ、と分かった頃には眼前にいたお犬様のそのそれなりに大きい体躯は宙を舞っていた。
人の身体ってこんな簡単に飛ぶものだっけ?と茫然としていれば、ポン、と肩に誰かの手が置かれる。
「ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃー真昼間からうるせーんだよ。発情期ですかコノヤロー」
手に向けていた視線を、その手の持ち主の顔に向ければ、まず綺麗な銀髪が印象に残った。
20代くらいの男性、だろうか?気だるそうなその表情が若干年齢を高めに見せてるような気もしないでもない。
ぽかん、とさらなる展開に間抜け面を晒し続けていれば、一発殴った事で気が済んだのか、ぴくぴくと痙攣して失神している犬人間から視線を逸らし、それを私に向けてきた。
「お宅大丈夫?」
「え、あ、は、はい」
それでも、この人は今絡まれていた私を助けてくれたんだ、という事だけは理解が出来た。つっかえながらも質問に答えるよう頷く。
「あ、あの、危ないところを助けていただいてありがとうございました」
次いで感謝の意を伝えようと頭を下げれば、どこか気恥ずかしそうに私から視線を逸らし、青年はポリポリと頭を掻いた。
「あーいいっていいって。俺が気まぐれで殴っただけだからよ」
「いえ、でも助けていただいたのは事実ですし」
再度頭を下げれば、ほんとにいいって、なんて言いながら手をぷらぷらさせ、じゃあこれで、と彼は私に手を向ける。
「え、あ…」
白い着流しを身に纏った背が遠ざかっていく。…ここで、私の脳内に選択肢が浮上した。
1・ありがとうございました、と頭をさげて彼を見送る。
2・せっかく話しかけてくれた青年に、根掘り葉掘りここの事を聞きだす。
「ちょ、ちょっと待ったァアアアアア!!!!」
「うごぁ!!!」
その着流しを全力で引っ張る。着流しと一緒に中に着ていた服も引っ張ったらしい。やけに苦しそうな声が青年から漏れた。
しかしそんな事など気にせずに…というか気にしていられずに、私はその服を引っ張ったまま、声を張り上げる。
「すみません!助けてください、その…色々と!!」
「……はあ?」
*
うららかな昼下がり。陽の光は誰にでも分け隔てなく降り注ぐ。
陽の光とは恐ろしい。ただ光を浴びているだけで眠気が増幅されるのだ。
だからこれは不可抗力不可抗力…と、内心で呟きながら青年は再度アイマスクを目に当てた。
ここは江戸の平和を守る治安維持組織…つまりは真撰組の屯所だ。
昼下がりなだけあって、宿舎となっているこの母屋にはほとんど人がいない。勤勉な事で、と青年は内心で同僚の隊士達に賛辞を送り、欠伸をして柱に背を預ける。
昼寝をするには絶好の天気だ。ちなみに青年が現在勤務中であるという事は彼の中では些細な事である。
うとうとと次第に青年の意識が微睡んでいく。
夢の中へいざ行かんと頭が船を漕いだその瞬間、青年は自分の名を呼ぶ声を耳にした。
聞き覚えのあるその声に、青年はアイマスクを上げてその声の主を確認することもせず、ふわあ、と欠伸を返す。
「何でィ」
「沖田隊長、書類の方にサインをお願いしたいのですが」
「あぁ、んなもん勝手に書いとけ」
至極面倒だ、と言わんばかりの声に、しっしと手で追い払う動作も追加してやれば、先程の声の主が困ったような雰囲気を醸し出したのを察知した。
しかしそれを敢えて無視すれば、声の主は分かりました、と了承の言葉を発し、青年から遠ざかっていく。
沖田と呼ばれた青年は、そこで初めて自身のアイマスクを顔から外し、声の主の背を眺める。
己と同程度の長さの金髪。背は青年よりも幾分か低め。筋肉がほぼ付いていないのではないかと思わせるその体躯。
必要最低限の筋肉しか付けていないのではあるとは思うが、パッと見それは女に見えさせるには十分だ。
(…女みてェ)
つい先日転がり込むようにこの真撰組に入隊してきた男。初めは誰もが女だと見紛った。
あの…、と遠慮がちに発せられた声が明らかに男のそれで皆を驚かせたのは記憶に新しい。もっとも、記憶に残っているのは男と分かった瞬間の真撰組局長がオーバーなリアクションを取ったからではあるが。
剣の腕は悪くない。むしろあの細腕でよくあれだけ剣を振るえると感心さえ覚える程だった。
渡された履歴書は当たり障りのない事しか書かれていなかった。青年の上司にあたる(憎たらしい)男はそれに胡散臭さを感じたらしく、今現在も彼の出生や身辺を調査していることだろう。ご苦労な事で、と青年は思う。勿論皮肉をこれでもかと練り込んで、だ。
真撰組を恨む攘夷浪士の連中から送り込まれた間者である可能性は捨てきれない。
だが、そうであった場合は切り捨てればいいだけだ。現にこの真撰組の一番の権力者である局長が入隊を許可した。部下である青年を含む隊士はそれに従い、彼を受け入れるべきである。
新入隊士が何を隠していようが関係ない。真撰組に害を成す存在であったとしても、青年にはあの新人を切り捨てられる実力があるからだ。
謎めいた新人の背を再度眺め、興味なさげに沖田総悟はアイマスクを再び装着し昼寝に勤しみだす。
新人の名は、 。
一か月ほど前に、この“世界”にふらりと現れた少女が自身の性別を偽った姿であることを、彼らはまだ知らない。
00.トリップとスリップの違いって結構些細なものだと思う
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序章ぶった切ってちまちま本章に挟む事にしてみました。
20120415